オレは今、試されているんだろうか。


目の前に立つその人を眺めながら、太陽は考えた。
もしも故意であれば、これはもう、完全に自分の負けだ。
おとなしく降参して、頭を下げてでも素直に認めようと思う。
だが、無意識であるとしたら。

「………どうしよう………」

途方に暮れたような呟きを、のどを鳴らして飲み込んだ。















「あ゛〜〜〜づ〜〜〜い゛〜〜〜〜〜」
本当に小さな、呟くような声で、太陽は本日何度目かの恨み言を口にした。
「首が苦しいっス〜〜〜〜〜」
固い結び目に人差し指を引っ掛けながら、タイの先端をくいくいと引っ張る。
「センパイたち普段、よくこんな堅苦しいカッコで動けるっスね……」
げんなりした表情を隠そうともせず、ほとほと参ったとばかりに眉を下げる太陽に、隣でワイングラス(中はノンアルコールのカクテルだ)を手に立っていた明日叶は、ちらりと苦笑して見せた。
「俺もあんまり好きじゃないけど。慣れだと思うよ」
言いながら、自らも額に滲んだ汗を、手の甲で拭った。
思わず吐いたため息が、熱を帯びているのを自覚する。


9月下旬。
残暑というには些か遅すぎ、厳しすぎる気温が、容赦無く体力を奪っていく。
もう日も暮れて久しいというのに、酷暑と称された今年の夏の最後の抵抗とばかりに、気温計測機能も搭載されたバングルのデジタル表示は、35℃を軽く超えていた。
加えて、今の自分たちの服装だ。
隙無く全身を包むのは、上質な生地で誂えられた漆黒のダークスーツ。
西洋の略礼装と言われる、いわゆるスリーピースで出来たもので、しっかりとした作りのジャケットの下には、これまた身体のラインにぴったりと沿ったベストを着用している。
靴下や靴は言わずもがな、手首には腕に着けたバングルを隠すために、袖から出してみせている革バンドの腕時計と、外気に晒している部分といえばまさに顔と手のひらだけという状態である。
そよとも風の吹かないこの状況で、肌を晒すことがどれだけの救いになるかは分からないが、締め付けられる部分が多ければ多いほど、不快指数は否応無しに上昇する。


と、そのとき。
手元から微かに通信音が聞こえた。周囲の喧騒に紛れるように、静かな声で応える。
「はい、こちらトゥルーアイズ」
『お疲れ様。中は無事に終了したよ。上からも今、解散命令が出た』
チームリーダーからの端的な説明に、知らず知らずに強張っていた背筋がほっと解ける。
『ライダーも一緒にいるね?帰宅する招待客に混じって、正門から出てくれ。不自然でないよう、門前に待機しているタクシーに乗って。行き先は』
車で20分ほどの場所にあるホテル名に、明日叶は頷いた。
「わかりました」
「亮に……違った、ゲームマスター、ホテル帰ったらこの服、脱いでもいい!?」
切羽詰った、けれど他愛の無い質問に、無線の先で小さく笑う気配がした。
『いいよ。慣れない仕事、お疲れだったね。もう他のメンバーにも指示を出してある。君たちで最後だよ。戻ったら着替えて、ゆっくりして。反省会は明日、学園に戻ってからしよう』
着いたら連絡を忘れずに、という言葉を最後に、通信が切れた。









「ふぃ〜〜〜っ!疲れた〜〜〜〜」
タクシーを降りたところで、ようやく太陽が口を開いた。
ホテルに向かう車内でも、二人は互いに口を噤んでいた。
演技の一環として、明日叶の「盛大なパーティでしたね」という台詞に、「本当に。いらっしゃる方も著名な方々ばかりで、大変勉強になりました。お父様によろしくお伝えください」と、暗記したとおりの答えを太陽が返しただけ。
これで何も知らない運転手には、「財界に強力な伝手のある父を持つ少年」と「その知人」という役柄が植え付けられただろう。


今回のミッション内容は、いつもに比べると、やや異例なものであった。
グリフ単体に下された命令ではなく、マニュスピカ本部が動く、その補佐要員として駆り出されたのが、先ほどのパーティだった。
主催者は名のある財閥家現当主。
その何十回目かの誕生日を祝う会において、所蔵する芸術品を招待客に披露するための場が設けられることになった。
国有資産といっても過言ではないレベルの作品が多いため、当主本人からの依頼で、本部が護衛を兼ねた監視役として招かれたというわけだ。
自分たち候補生は、いわゆる不審者対策として、末端の警備員役を務めることになっていた。
もちろん、民間の警備会社や警察からも応援は来ていたものの、彼らは言わば警護のプロである。芸術品に関してのプロはこちら側だ。過去にこうしたパーティやオークションに潜り込み、良からぬことを企んでいた人物の情報も数多掴んでいるマニュスピカたちを、私服警備員として配置させることは、セキュリティの面から言えばまことに道理に適っていると言える。




「お疲れ。よく頑張ったな」
大きく伸びをする太陽を目を細めて見遣ると、明日叶は心からの労いの言葉を掛けた。
現場に出る頻度からこういった格好をする機会も多い自分たちとは違い、機動力こそが求められる彼にとって、今回のような仕事内容は慣れないことだったろう。
「もー無理。我慢できない」
そう言うと、太陽はおもむろにジャケットを脱いだ。
そのままネクタイにも手を掛けたが、勢いよく前に引っ張ってしまい、涙目で明日叶に助けを求める。
丁寧に指先で結び目をほぐしてやりながら、明日叶はほんの少しだけ不満そうに呟いた。
「もう脱ぐのか?」
せっかく、珍しい格好を見られたと思ったのに。
ぴしりとアイロンのかかったシャツに、締まったウエストからまっすぐに伸びるスラックスのライン。程良く筋肉のついた長身を窮屈そうに包むそれらを、記憶に刻み込むように、明日叶はこっそりと太陽の全身を凝視した。
(………俺、なんか、やらしいオジサンみたいじゃないか?)
ふと思い当たって、ちょっと落ち込む。



実際、太陽の正装姿は、驚きの範疇を超えていた。
一応、他のメンバー同様入学した時に支給はされていたらしいが、袖を通した姿を見たのは、明日叶だけでなく、グリフのメンバー全員が初めてだったらしい。
計画の最終確認のために集まったラウンジで、全員がその姿を見て、一斉に目を剥いたのが記憶に新しい。
ヒロなんて、「あの雑種がどんな『マゴいしょ』になるか、楽しみだねぇ」とか毒づいていたくせに(ちなみに『マゴいしょ』とは、『馬子にも衣装』の略らしい)、すわ太陽が部屋に入ってきた途端、彼にしては珍しいほど、毒気の抜けた顔でぽかんと呆けていた。
ゆったりした服装を好む彼の常の姿からは想像し難いが、もともと肩幅も、ある程度の身長もあり、実は筋肉質でもあるから、こういう身体のラインの出る服装は似合うに決まっているのだ。
それでも、現れた彼の、普段とのギャップのあまりの激しさに、曲者揃いのグリフの面々ですら思わず唸ってしまったのだった。
制服すらまともに着こなしたところを見たことがない人物の、目の覚めるような男ぶりに。
―――恋人の明日叶にしてみたら、なおさらだ。



明日叶の残念そうな声音に気づかなかったのか、ようやく解けたネクタイを片手に、太陽はほっとしたような顔で笑った。
「やっとちょっと楽になった」
へにゃっと笑うその表情は、会場の外、招待客の歓談の場として解放されていた庭園で、明日叶のそばで口数少なく「良家の子息」を演じていた彼とは、文字通り別人に見える。
それが、ミッションの本当の終了を告げてくれているようで、明日叶の顔から今度こそ心からの笑みが零れた。
「疲れたな。疲れたら、なんかおなか空いてきた」
口をついて出てきた素直な言葉が、なんだか恋人の影響を色濃く反映しているようで、思わず笑ってしまう。
会場で口にしたのは、飲み物だけ。夕方から続いた長時間の緊張感に、空腹もさることながら、改めて喉まで渇いてきたようだ。
「オレも〜〜!もう腹ペコっス!!何か食べにいこ、センパイ」
早く着替えに戻ろうと、明日叶の手を掴んでエントランスのドアへ向けた足が、ぴたりと止まった。
「太陽?」
どうした?と聞くまでもなかった。
明日叶はその視線の先にあるものを確認すると、太陽に向かって頷いた。
「いいな。俺も食べようかな」
「やった!暑かったからな〜、頑張った自分にご褒美ご褒美っ♪」
「ははっ。じゃ、俺が奢ってやるよ」
「ほんと!?やったぁ」

太陽が歩み寄ったのは、ホテル前の公園入り口に停まった、白いバンだった。
少し季節外れ感も否めない、けれど、こんな残暑ではまだまだ客足も途切れないだろうと思われる、ソフトクリームの移動販売車だ。
気のいい店員からオーソドックスなバニラ味のソフトクリームを二つ受け取ると、明日叶は一つを太陽に差し出した。
「はい」
「わーい♪あざっす!いっただっきまーす!」
しばらくの間、子供のように満面の笑顔で頬張る太陽をほのぼのと眺めていたら、指にぽたりと冷たいものが落ちてきた。
「あぁぁセンパイ、早く食べないと!」
あっという間に完食した太陽が、慌てて明日叶に声を掛けてくる。
夜とは言え、まだこの気温だ。
ぼんやりと手に持ったままだったソフトクリームは、ぽたぽたと溶けては明日叶の指を濡らし始めていた。
「あ、ああ、ほんとだ」
焦って舌を伸ばす。
そのまま、行儀が悪いとは思いつつも、握った右手に落ちたクリームを掬い取り、そのままアイス部分に口をつけた。
唇を寄せただけで形が歪むほど、それはもう、昼間の余熱に負け始めていて。
「うわ……、わわ」
必死で食べ進めるが、溶けるスピードは緩まらない。
上等なスーツの胸元まで濡らして、明日叶は自分のことながら、(子供っぽいのはどっちだよ…)と内心呆れた。
その恥ずかしさもあって、しばらく目の前のそれに集中する。
立ったまま、しかも本格的な礼服を着た男が、必死でソフトクリームを攻略する図。
―――シュールすぎる。
若いOL風の女性二人組が、くすくすと笑いながら通り過ぎていった。
明日叶は顔を赤らめながら、黙々と舌を動かした。





「ねぇ明日叶センパイ」
「………ふぅ。ん、何?」
明日叶が食べ終わるのをじっと待ってくれていた太陽が、静かに声を掛けてきた。
ぼりぼりとコーンの部分を噛んで飲み下し、ようやく人心地ついた明日叶は、照れたように太陽に向き直る。
「ごめん、待たせて。しかも俺」
手とかベタベタだし。
情けなさそうにそう笑おうとした言葉を、伸びてきた指で制される。
そのまま、左頬のあたりに顔を寄せられた。
「たいよ……っ!?」
ちゅく、と音をたてて吸い付いた唇が、生暖かい感触を残して離れる。
「おま、こんなとこで……っ」
まだまだ人通りも多い。
羞恥のあまり、厳しく咎めるような口調になる明日叶に、太陽は反省するでもなく、ただじっとこちらを見詰めてきた。
「おなか空いた、センパイ」
「………う、うん」
行動にそぐわない唐突な言葉に、躊躇いつつも思わず頷く。
「食べたいな」
「………うん?何を」
「っていうか、すんません、いただきます」
意味が分からないときょとんとする明日叶に、お行儀よく手を合わせて一礼すると、太陽はその腕をとって再びホテルへと歩みを向けた。―――今度は、揺ぎ無い駆け足で。
「おい、ちょっ、なんだよ、太陽!?」
ほとんど後ろ向きにずりずり引き摺られる格好の明日叶は、未だに訳が分かっていないらしい。
そんな恋人を、部屋に入るまでなるべく見ないように意識しながら、太陽は嘆息した。


故意ならばありがたく。
でも。


「これが天然なんだから、たまんねぇよなぁ……」
いとも容易く敗れたこの勝負に、早々と白旗を上げると、太陽は今夜最高のご馳走をいただくべく、フロントに駆け寄った。


















◆あとがき◆

いつもありがとうございます、雪織です!
いつもサイトを応援してくださる皆々様へ、何か!何か御礼をしたいと思い!
10000Hit記念に、1本書かせていただきましたvv
お持ち帰り自由のフリーssにさせていただきますので、よろしければお持ち帰りくださいまし〜orz

ありきたりなネタ、ありきたりな萌えですが、どぅぅぅしても前から書きたかった話です♪
礼服太陽と。エロスの鉄板、ソフトクリーム(笑)
個人的にはこの後の展開も書きたくて仕方ないですが、まぁここは敢えて完結。
皆様のご想像通りの展開になってると確信してます。(という名目での書き逃げ)
ちなみに、珍しくちゃんと考えた(これでもちゃんと……っ!)本作タイトルは、
雪織の大好きな某作家さんを意識してみました。あっちはシリアス、こっちはギャグですが(笑)
バレバレですかね、はは。

2010.9.18 up







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