暖かく晴れた金曜日。

明日叶はディオと二人、中庭のベンチに腰掛けてサンドイッチを頬張っていた。
今日みたいに天気の良い日の昼休みには、軽食を提供するワゴンが出る。
入学したての時、ディオが教えてくれたこの店のサンドイッチは、以来すっかり明日叶のお気に入りになっていた。
片手に余るほど豪快に挟まれた野菜の厚さと格闘しながらも、他愛無い話をして過ごす。
気付かぬうちに頬についていたらしいサウザンドレッシングを笑いながら指摘されて、慌てて手の甲で拭ったその時だった。


「おーい!明日叶ちん、ディオ〜〜」
「ただいまっス〜」
校門の方向から歩いてくる二つの影が、こちらに手を振るのが見えた。
途端に跳ねあがった心臓の音は、内緒。
昨日から何度も何度も頭の中でシミュレーションしていた通りのシチュエーションだったから、どうにか隣に座る親友に気付かれることなく、表面上は平静を装っていられた。―――と、思いたい。
「おー、ご苦労さん」
食後のアイスコーヒーを一息に流し込むと、ディオは背後にあったゴミ箱に容器を放りながら後輩である彼らを労う。
その言葉に応えるように、二人はほぼ同時に肩から下げていた大型のボストンバッグを地面に落とした。目に見えて消耗した様子だ。


下級生である二人は、先週の木曜日から丸1週間、“短期特別合宿”という名の研修に出かけていた。美学行動科の1年生だけが集められて、まだ経験の浅い彼らにマニュスピカになるために最低限必要とされる知識や体験を徹底的に叩き込む研修旅行らしい。
“らしい”としか言えないのは、明日叶自身は受講した経験がないからだ。
そんな基礎知識を学べる機会なのであれば、学年関係無く自分も参加させてもらった方が良いのではないかと、チームリーダーである亮一にも相談してみた。
ところがそれを聞いた理事長から、グリフの面々はジャディードでの難局を無事成功裏に終わらせている実績から、特に初級の研修に参加する必要は無いというお墨付きをもらってしまったのだった。(ならば自分たちも免除されて然るべきでないかとの1年生組の訴えには、全く耳を貸さなかったという話だが)

2年時編入という、ある意味イレギュラーな方法で入学したため未経験の明日叶にとっても、その合宿の大変さは同い年の親友たちの苦々しげな表情や、先輩たちの意味深な笑い(苦笑・嘲笑含む)からも十分推測出来た。


「疲れたろ」
ニヤリと口の端を持ち上げる、ディオ特有の意地悪い笑い方に、目の前に突っ立ったままの二人は盛大な溜息を吐いた。両者とも、若干やつれたようにも見える。
「疲れたなんてもんじゃないよ!何あのとんでもない過密スケジュール!夜まともに寝る時間もなくて、もうお肌も髪もボッロボロ!最悪!!」
さすがにいつもよりはテンションは低いが、ぎゃんぎゃんとまくしたてるヒロの横で、珍しく太陽が素直に同意する。
「布団入って寝かけたとこで、大音量の非常ベルっスよ……『いかなる状況下においても、俊敏且つ効率的な動きをとるための訓練』とかなんとか……マジ寿命縮んだ」
彼らしからぬ難解な言葉が、スラスラと出てきた。
きっと期間中、耳にタコが出来るくらい聞かされた文言なのだろう。

「お疲れ。大変だったな」
ディオに続くように、二人を見上げて自然に微笑みかける。
―――うん、完璧。
声も裏返らなかったし、ちゃんと目も見られた。
直接会うどころか声を聞くのすら久々すぎて(研修中は、携帯電話すら没収されていたらしい)、情けないことに動悸は早まりっぱなしで五月蠅いくらいだけれど。
視線があった途端、その澄んだ大きな瞳に吸い寄せられそうになって焦ったけど。
“年上の余裕”、っていうのだろうか。なんとか体面は保てたはず。
つまらない見栄なのは重々承知だが、たかが1週間離れたくらいで恰好悪く動揺するような醜態を晒さずに済んだのにはホッとした。
イメージトレーニングというのは本当に有用だと、明日叶は常日頃から口癖のように言うもう一人の親友の姿を思い浮かべた。


「お前ら、今日の午後はさすがに免除か?」
2、3年は通常通り、チームごとに分かれての講義がある。
「当たり前でしょ!すぐハーブ入りのお風呂入ってパックして、それからあっまーいもの食べる!もう、今日はスイーツ食べまくっちゃうから!」
「完全に禁断症状だな。ま、俺も似たようなもんだったか」
懐かしそうにディオが目を細める。何の、というところは綺麗に省かれたが。
「それじゃ、お先ー」
気だるげにそう言い残すと、ヒロは大きなバッグを両手で抱えるようにして寮へと戻って行った。その後ろ姿が、身のこなしの美しいヒロにしては、ふらふらと揺れている。
「あー……オレもとりあえず部屋戻るっス。もう、飯も後でいいや」
何が起きても食欲だけは健在、それがウリ(?)の太陽の口から仰天するような言葉が出て、今度こそ明日叶は心配になった。
「な、なぁ、本当に大丈夫か?」
「ん、あー……うん、平気」
どこかぼんやりしたような覇気の無い口調に、思わず眉間に皺が寄る。
心なしか目線も俯きがちだ。距離感も、どこかよそよそしい。

実際のところ、明日叶のイメージトレーニングの中では、『明日叶センパイ!久しぶりっス!もうオレ、センパイに会えないのが寂しくて寂しくて…!!』とかなんとか言いながら、飛びついてこられるくらいは想定していた。それが思い上がりでないと分かるくらいには、一緒にいる。だからその分、年上の自分の方が冷静になろうと努めていたのだが。
想定外の状況に、これは思った以上に重症だと見てとった明日叶が思わず振り返ると、どこか面白そうにこちらを眺めていた親友は、おざなりに頷いた。
「へーへー。にーさん達には上手く言っといてやるよ。どうせ1年のメンバーもいねぇし、今日の講義も自習形式になるだろうって、眞鳥さんも言ってたしな」
ひらひらと片手を振って、『行けよ』と言う。
「ごめん、ディオ。………ほら太陽、荷物持ってやるから」
太陽の背に心配げにそっと手を添えながら歩き出す明日叶に向けて、ディオは小さく口笛を吹いた。
「良かったなー、明日が休みで。お前の方がよっぽど心配だぜ?ガッティーノ」

禁断症状なぁ……。
人知れず笑い声混じりに呟いた彼は、のそりと立ちあがると、肩を竦めて歩き出した。












「なぁ太陽。本当に何か食べなくて大丈夫か?」
「うん、いい」
勝手知ったる室内に入って、明日叶は持っていたバッグを手近な場所に置いた。
後から入って扉を閉めた太陽は、やはりどこか元気が無い。
部屋に着くまで、食堂の辺りを通った時にも尋ねたのだが、本来食欲魔人なはずの太陽から、ついぞ空腹を訴える言葉は聞けなかった。
それが明日叶には心配でならない。厳しい訓練の中、体調でも崩したのだろうか。
不安な気持ちが膨らんで、当初の変な緊張感もすっかり忘れてしまっていた。
「じゃあ、とりあえず寝るか?起きてから減ってたら、夕食付きあうし」

振り返りざま掛けた言葉が、途中で飲み下されてしまった。
「………っ…………」
甘やかな言葉も前兆も何も無い、背後からの突然の激しい口付け。
言葉どころか、息も舌も鼓動さえも吸い出されてしまいそうな感覚。
かろうじて薄く開けた目には、無表情のまま、それでも抵抗を躊躇うほど鬼気迫る様子で明日叶の唇を貪る恋人の姿が映った。そのまま、ベッドの上に引き倒される。
全身そのものが楔であるかのように、がっしりと筋肉質なその身体が、全体重を掛けて明日叶を押さえつけていた。
乱暴な行為に、一瞬身体だけが素直に動揺する。だが、感情の方は驚くほどの順能力で応えだした。
身動きなんて出来ない。
燃えるように熱い相手の胸板に、預けるしか、投げ出すしかない。

「……………っ……は……ぅ」
「ん…………っ……っ……ぁ」
荒い呼吸と水音を立てて明日叶を蹂躙する太陽の喉からも、飲み込みきれない呼吸が漏れる。
切羽詰まったその呻き声が本当に苦しそうで、明日叶は自分のことはさておき、とにかく心配になった。
上に乗っかった身体も、その重みに慣れてくると、明日叶を押さえつけるためというよりも、力が入らずぐったりともたれかかっているようにも思えてくる。
「ちょ……んっ…は……っ、……まっ…ぁ…っ…」
ちょっと待て。
そう言いたいのに、唇がぶつかる隙間からようやく押し出した声は、熱い吐息に変わるだけで。
ほんの先程まで全くのゼロを指していたある種の熱ゲージが、段階をすっ飛ばして呆気なく臨界点を超えようとしているのが分かった。
意図せず涙が零れる。
息が、苦しい。
酸素を求めて僅かな隙を狙って唇を離すと、途端に侵入してくる舌が塞いでしまう。
苦しい、なのに、―――泣けるほど甘い。
頬が、胸が。
触れてもいないその場所が、急激な熱の集中に焦りだす。
全身が、どくどくと駆け巡る血流に呑まれて溶けてしまいそうだ。

普段、太陽はこんな性急なキスはしない。
先に進むのが勿体ないと言わんばかりに、優しく、丁寧過ぎるほどたっぷりと時間をかけて明日叶の身体を解けさせる。
猪突猛進で知られるこの男の意外すぎる一面を知り、明日叶は照れくさい反面、なん
とも言えない幸福感を感じたものだ。


「……っ……!」
下唇に鋭い痛みが走って、強引に意識を引き戻される。
「センパイ……」
はぁ…と小さな吐息と共に押し出したその声は、先ほどまでの硬質なものよりは、だいぶ柔らかく耳に届いた。ようやく聞き覚えのある甘えた口調が、けれどどこか痛々しい必死さで囁く。
「すっげー腹減ってんの、オレ」
さっきとは真逆のセリフを告げる。
「だから食べたいな……ね、……食べたい、明日叶センパイ………」
「……いっ……!」
うわごとのようにそう繰り返しながら、言葉通り、太陽は明日叶の喉に、鎖骨に、胸の突起のすぐ側に容赦なく噛みついていく。
冗談じゃなく鋭い痛みに、そのたびに自由にならない身体が跳ねる。
自分でもままならないのだろうか、申し訳なさそうな顔で見つめてくる反面、太陽の瞳には、獰猛ともとれるちらちらとした小さな焔が揺らめいていた。
「食わせて………」
背骨が蕩けるほど甘い声で、乱暴な一言が紡がれる。
返事を待つ間もなく、太陽はまた口付けを再開した。
汗に濡れた手のひらが、明日叶の顎を強く掴む。
先程と同じ、魂を飲み干すようなキス。
でも、さっきよりはほんの少しだけ優しいキス。
けれど先走る気持ちだけはどうしようもないのか、誘い出そうとする明日叶の舌を、勢い余って何度も太陽の歯が引っ掻く。
痛みを覚えてもいいはずのそれは、鈍い鉄の味を滲ませても尚、明日叶には下肢が震えるような甘美なものにしか思えなくて。

改めて、どれだけ自分が飢えていたのかを思い知る。
あんなに念入りに、イメトレしたのに。

こうなることが、なんとなうでも分かっていたから、努めて冷静に振る舞ったのに。
年上の余裕?そんなもの、最初から無かった。―――くそ。

酸欠に陥った脳は、考えることをすぐに放棄する。
だからただ、本能が望むままに。





くれてやる。
だから俺にも、お前を食わせろよ。




明日叶は、全身の力を抜くことで、肯定を示してみせた。
他に、一片の自由も残されてはいなかったから。


















◆あとがき◆

桃色第四弾です。
シリーズにしては、間が空きすぎですいません、アハハvv(笑ってごまかす)
今回の裏テーマは『禁断症状』。
飢えた獣太陽、大好物です。それを迎え撃つ、隠れ獣な明日叶ちんも大好物です。
大好物×大好物=こうなりました♪
この二人、あんまり長く離してると危ないですよ。何がって―――明日叶ちんの身体が(笑)
太陽ががっつくのは通常仕様として、明日叶ちんも大概我慢の利かないタイプだと萌えるvv
最後のセリフを明日叶ちんに言わせたくて出来た話です。
普段、どこか育ちの良さが匂う明日叶ちんが、時々乱雑な言葉を使うのが大いにツボです。

2011.1.31 up







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