「む〜〜〜、こっちの道、失敗だったっスねー」
「ん。大丈夫だよ、ゆっくり帰ろう」
ハンドルの上に顎を乗せて、不満そうに口を尖らせる太陽を、明日叶は小さく笑いながら宥めた。


平日の午後6時前。
まさに帰宅ラッシュの時間帯、大通りは混雑のピークを迎えていた。




「あ〜〜〜っ、もう!!」
運転席から、今度は珍しくささくれ立った鋭い声が聞こえて、明日叶は思わずびくりと肩を揺らした。驚いて横を向くと、シートに背中を預けた状態のまま、太陽が片腕で目を覆って宙を仰いでいる。
「完っっ全にオレの判断ミス!!あ〜〜もう、コレがもしミッション中だったらどうすんだよ……」
呻くように呟いたその言葉を聞いて、もう一度驚いた。

渋滞に対してではなく。
いつもみたく、颯爽と走れないことに対してではなくて。

心底悔しそうな表情が、見慣れない苛立った様子が、彼のミッションに対する責任感から生まれるものだと知って、明日叶は改めて、この年下の恋人の意外なまで(といったら失礼だろうが)な大人びた頼もしさに、心臓が揺れるのを感じた。




「……じゃあ、太陽はどこが間違ってたと思うんだ?」
少しの間考えて、慎重に言葉を選ぶと、明日叶は静かにそう尋ねてみた。
「んっとね、………あれ、あそこっス!ほら、スタンド過ぎたすぐのトコ、あそこで上あがらずに脇に抜けてれば良かったんだ。……あ、でもそれじゃ、どうせすぐこの道にぶつかる、か。じゃあその手前の交差点で……いや、」
最初は明日叶の問いに答えるような形で、けれど後半以降はどこか独り言のように、記憶を辿りながら問題の根幹を探っていく。
彼の頭の中では今、恐らく明日叶には到底理解できないような複雑な図面が描かれているのだろう。
地図を見るのは苦手だと太陽は言うが、彼は自身の脳内で、彼なりの途方もなく緻密なマップを展開することが出来る。それが例え、他人には理解しづらい形であったとしても。
僅かに眉を顰め、いつもは夏の空を映した明るい瞳が、こんな風に深い水底の色に変わる時は、決まっていつも。



思考の邪魔をしないよう口を噤んでいると、少しずつだが前の車が動き出す。
声を掛けようかと一瞬逡巡するが、そんな気遣いは無用とばかりに、太陽は表情を変えぬまま静かに車を発進させた。
無意識下でのその慎重な行動に、明日叶はまた感心する。
彼は、プロなのだ。







しばらくして、ぱぁっと、本当に効果音でも鳴りそうな勢いで、車内の空気が一変した。
「わーかったぁ〜〜!!」
晴れ晴れとした顔を上げると、満面の笑みで明日叶の方を向く。
「あのね、あのねセンパイ、店出たとこの道でねっ」
堰を切ったように太陽が話し出した。
『この道筋を選択していれば、もっとスムーズに動くことが出来た』という彼なりの理論が、十何種類、それこそ湧き水のように次々と溢れ出てくる。
明日叶も物覚えの悪い方ではないけれど、こと運転や道路のことに関しては、太陽の常人離れした記憶力には舌を巻かずにいられない。
次々と展開されるその仮説に逐一肯きながらも、明日叶はつい口元が緩むのを止められなかった。

「……ふぇ?どしたのセンパイ、なんか、楽しそう?」
ひとしきり話し終えると、そんな明日叶に気付いたのか、太陽が首を傾げた。
―――今は、車内に二人っきりだ。
明日叶はシートベルトを少し長めに引き出すと、身を乗り出して運転席に身体を寄せた。そのまま腕を伸ばして、遠慮無く太陽の柔らかい髪をわしわしとかき回してやる。
「うわ。なにセンパイ、へへっ、くすぐったいよ」
広い肩を竦め無邪気に笑う太陽に、つられて微笑む。
「お疲れさま。がんばったな」
一瞬遅れてその言葉の意味を解したのか、太陽はほんの一瞬だけきょとんとすると、すぐ、今度は瞳を僅かに細めてふわりと笑った。
「……うん。これが本番じゃなくて、ホントに良かった。――ありがと、センパイ」


またしても、ことり、と鼓動が鳴った。

穏やかで、凪いだ瞳がこちらを見詰めてくる。
こいつの、こういう顔は、本当にずるいと思う。
こんな時、自分の方が年長なのに、と少しだけ悔しい気持ちになる。
赤くなりそうな顔を誤魔化すように、明日叶は慌てて助手席に座り直した。




「そ、それにしても、今日は食料品とか無くて、よかったな」
後部座席に積んだ荷物を肩越しに見遣りながら、明日叶は話題を変えた。
そう、今日こうして二人で町に出たのは、次のミッションに必要となるだろう諸々の資材を調達するためだった。
ドライバーの太陽が必須人員なのは当然だが、恋人同士になってからは、ちょっとした校外デートの気分で、明日叶が同行するのが慣例になっていた。(太陽が熱心に誘ってきたのが、最初のきっかけではあったが。)
必要物資の買出しではあるものの、どうせならそのついでにと、グリフのメンバーから個人的な買い物も頼まれることも多い。
食料品―――特に、学園内の購買や食堂では手に入らないような生ものなどがリストに入っていることも少なくないのだが、今日は偶然にもそれが無かった。
こんな大きな渋滞に引っ掛かるとなると、この季節、アイスクリームなど溶けるもののリクエストが無かったのが本当に幸いだ。

「そっスねー。こんな日にアイスとか乗せてたら、マジ、ぜってー怒られるし」
同じことを考えていたのか、太陽もそう言って苦笑する。
車内には冷房が効いているとは言え、この調子では学園に着くまでまだ当分掛かる。棒状のアイスなど、寮に持って帰れた頃には、きっと悲惨な状態になっていただろう。



「あーあ」
でも、と太陽がぼやく。
「アイスでもあったら、叱られてもいいから、一個くらい頂いちゃったのになぁ」
しゅん、と尻尾や耳が垂れるのが見えるような沈んだ声にに、明日叶は思わず小さく噴き出した。
「なんだ太陽、お腹空いてるのか?」
確かホームセンターを出た後、隣のたこ焼き屋で2皿平らげてなかったか?
明日叶の無言の問いかけに、「だってー」と太陽が的確かつ不満げに答える。
「頭使ったら、消費しちゃったんだもん」

しょげたようなその子供っぽい口調に、ほんの少しだけ胸がきゅん、とした。
男の自分にも母性というものが存在するのだとしたら、多分これは、そういう類のものだ。太陽には、特にこういう気持ちを抱かせる一面がある、と明日叶は思う。
―――惚れた弱みというものなのかも知れないが。
どうにかしてやりたいな、と考えたその時、ふと思い出して明日叶はポケットの中を探った。出てきたのは、角砂糖の半分くらいの小さい飴玉。


「太陽。これでよかったら、やるよ」
「ふぇ?」
ハンドルを握る太陽に、明日叶はビニールの包みを破って渡してやる。
企業名が大きく印字されたその包みは、太陽が車を取りに行っている間、街頭で手渡された、大手菓子メーカーの新商品サンプルだった。もらったまま、無造作にポケットに入れておいたのを忘れていた。
「あ!アメだぁ!」
明日叶の指先に挟まれたものを見て、大きな瞳がきらきらと輝く。
今度は背中の向こう側で、立派な尻尾がぶんぶんと横に揺れているのが見える気がする。ちょっと―――いや、だいぶ可愛い。
「えっ、えっ、いいんスか!?」
大げさなほど喜ぶ太陽に、明日叶は笑って頷く。
「いいよ。もらいもので悪いけど」
「いっただっきまーす♪」
明日叶が言い終わるのも待たずに、太陽は大きく口を開けた。
そのまま遠慮無く明日叶の指ごと含むと、指先に舌を絡めて塊を受け取る。
「ちょっ、……おい!指!!」
ざらりと爪のあたりをなぞった温い感触に、二の腕の内側がひくり、と粟立った。
「へへー♪ごちそうさまっス」
動揺する明日叶を尻目に、上目遣いでにっこり微笑むと、太陽はちゅ、と音を立てて指を離した。そのまま、コロコロと口の中で飴玉を転がす。

「……ん!?うわ、これ、めっちゃウマいっスよ!?」
「そうなのか?」
「うん!すっげーウマい!!」
明日叶は破いた包み紙に目を落としてみるが、フレーバーについては特に何も書かれていない。
「何の味なんだ?」
「ん〜……これ、なんだろ?マンゴー?んー違うか、えっと、パパイヤ?あれ、パパイヤってどんな味だっけ」
視線を宙に彷徨わせながらあーでもない、こーでもないと推測していた太陽は、ふと明日叶の方を向くと、悪戯っぽく笑った。


「センパイも、知りたい?」
「え、何を?」
「いや、このアメの味」
「……ん?あー、うん、まぁそんなに美味しいなら、今度買ってみようかなーとは思う、けど」
空腹とは言え、お菓子好きとは言え、恋人がこれほどまでに絶賛する味だ。
今度試してみよう、と思うくらいには興味はある。
そう考えて、躊躇いつつも頷いた。

「んじゃ、分けたげる」
「……へ?……っ、おい…ちょっ!」
唐突にそう言ったかと思うと、その意味を問い返す間も無く、ぐいと胸元を掴まれ唇を奪われた。
強引に引っ張られたシートベルトが、しゅるり、と鋭く擦れた音を立てる。
「ん〜〜〜……っ!」
「…………っ、ぷは」
信号が青に変わると同時に、そっと解放された。
何食わぬ顔で前を向きアクセルを踏む太陽を、明日叶は微かに潤んだ目のまま睨み付ける。
唇が離れる寸前、するりと巧妙に入り込んできた優しい舌が、そっと小さな塊を明日叶の方に押し込んできた。
零れないよう、咄嗟に舌で受け止めたそれは―――太陽が言った通り、甘くて爽やかで、確かに南国のフルーツの味がした。
けれど。



「分かった?センパイ、ねえ、何の味だった?」
再び動きを止めた車内で、反らした視線の反対側から、楽しくて仕方無いといったような、くすくす笑いが聞こえてくる。
ねぇねぇ、と子供のように何度も繰り返しては明日叶を急かす。
「………〜〜〜っ、知るか!」


くそ、こいつ、本当にズルい。
袖で口元を乱暴に拭うと、明日叶は乱暴に座席へ身体を任せた。
今度こそ、誤魔化しきれないくらい顔が熱い。
腕を組んだまま、せめて窓の外に視線を逃がす。
先ほどまでは気にならなかった渋滞が、今は酷くじれったい。

(味なんて、分かるわけないじゃないか…!!)

いつもとは別人のような、悔しいくらい甘い口付けの感触にびっくりして。
思わず、固まりのまま飲み込んでしまった、なんて。
一瞬だけ口内を掠ったその甘さは飴玉の味なんかじゃなくて、自分にはいつもの太陽のキスの味にしか感じられなかった、なんて。
恥ずかしすぎて、絶対に、知られたくない。




「あれ?怒っちゃった?ねぇ、明日叶センパイ?」
少しだけおろおろしたような声が、明日叶を呼ぶ。
きっともうすぐ、返事をしない自分に焦れたその手が優しく頬に触れる。
だから、その前に。気付かれないうちに。







早く、―――次のキスが来る前に。

















◆あとがき◆

ギャー!!恥ずかしィィィーーー!!!(ゴロゴロ)
久々にH無しバカップル書いたら、自分でも悶絶するほどの羞恥心に見舞われました。
恥ずかしすぎる!けど『ほのぼの』って、確かこんなんじゃなかったっけ!?(もう分からん)
えー今回、柄にも無くこういう雰囲気にチャレンジしたのは、日記でも書きました通り、
すごろくチャットにて王様より下されました「3着は太明日で『ほのぼの』を書きたまへ!」と
いう無茶振りご命令によるものでございました(笑)
最近エロor甘甘が基本の雪織にとっては、新鮮な経験でしたvv難しかったけど楽しかった!!
終始、どうかするとえっちぃ方向へ走り出そうとする二人を止めるのに躍起になってました(笑)
わたべキングー!こんなのでいかがでしょーかー!?(耳に手をかざして聞いてみる)
………よし!(←何も言ってない)すいませんすいません、これが私の限界でした。めそめそ。
もうほのぼのなのか激甘なのかよう分からん代物ですが、謹んで奉献させて頂きまする〜m(__)m
こんなんで宜しければ、お納め頂けますと幸いで………にゃむにゃむ。

2010.9.1 up







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