額に温かなものが触れた。
掠めるようなその感触がくすぐったくて、わずかに身じろぐ。

「……ん」

ふと漏れた、自分の安心しきった声に驚いて、明日叶は勢いよく顔を上げた。
先ほどまで額を撫ぜていた大きな手が、今度はそっとこめかみに差し込まれる。
髪の毛を通してじんわりと伝わってくる手のひらの熱に、昨夜までの鋭さは感じられず、明日叶は思わず嘆息した。
その気配を察したのか、囁くような声が暗闇に静かに響く。
「おはよ、センパイ」


「ごめん、俺……っ」
徹夜で看病するつもりが、いつの間にか傍らで眠りこけてしまっていたらしい。
一番近い記憶では確か、温くなったタオルを冷水で絞り直して、太陽の額に乗せたはず―――だったのだが。
一体、どれくらい眠ってしまったのだろう。
明日叶は、自分に舌打ちしたい気持ちで身体を起こした。
長時間、床に直接座りこんでいたせいか、体勢を変えると関節が軋む。
だが、そんなことも気にせず膝立ちになって顔を覗き込んでくる明日叶に、太陽が小さく笑ったように思えた。
真っ暗な室内では、互いの表情すら読み取るのは難しい。
カーテンの隙間から光が見えてこないところを見ると、まだ夜明けは遠いのだろう。

「気分はどうだ?熱は?どこか、辛いところはないか?」
矢継ぎ早に尋ねながら、大体の当たりをつけて右手を伸ばす。
探りあて捉えたその額からは、さっき手のひらから推察した通り、彼の体温がほぼ平熱に近いことが感じられた。
「よかった、下がってる……」
張り詰めていた神経が緩むのが分かった。……と。
「ん。もう平気」
そう言いながら上半身を起こし、ベッドから立ち上がろうとする太陽を慌てて留める。
「バカ!まだ大人しくしてろって!」
「え〜、でも……」
「何か必要なら、俺が取ってきてやるから。どうしてほしいんだ?」
「へ?…んっと、その、喉渇いたなーって……」
「分かった、待ってろ」
明日叶は勉強机の上に並べてあったペットボトルの中から一本手に取ると、キャップを外して渡してやった。
冷えたものは良くないだろうと、中身は適度な常温だ。
「飲めるか?」
「へ!?」
「?いや、だから、零すなよって」
「あー……ああ、そっスね。の、飲めます!もちろん、一人で飲めるっスよ!?」
何気無く掛けた言葉に妙に過敏な反応を返され、明日叶は首を傾げる。
「あーびっくりした。……へへ、オレ、熱で頭ラリってんのかなー」
一体何を想像したのか、太陽は照れたように一人呟くと、ごくごくと喉を鳴らして水分を流し込んだ。
「………っ、ふぃ〜。生き返ったぁ」
「おい、あんまり一気に飲むと良くないぞ?」
言ったところで既に遅く。
あっという間に空になったボトルを受け取ると、明日叶は苦笑した。
「汗、いっぱいかいてたからな。喉渇いてただろ」
「うん」
先ほどより幾分かクリアになった声が、ほっとしたように肯定する。
―――けれど。

「あー、あー……んんっ」
本人ももどかしかったのだろう。やや苛立たしげに咳払いを繰り返した。
喉の渇きのせいかと思っていたのだけれど、どうやらそうではなかったらしい。
「あれー?声が変……」
「嗄れちゃってるな」
普段はよく通るテノールの声が、今は空気混じりの掠れたものに変わってしまっている。
喉の奥をひりつかせるようなその音が痛々しい。
「熱のせいだな。大声出さないようにしてれば、すぐに治るよ」
「はーい」
幼い子供のような素直な返事が返ってきて、明日叶はそっと微笑んだ。
「薬……そうだ、薬飲まなきゃ」
昨夜、明日叶が部屋を訪ねた時点では、太陽は薬どころか食事もとっていない様子だった。(この事実こそ、明日叶に最大のショックを与えた)
そのため彼が寝入った後、医務室で風邪薬をもらってきておいたのだ。
「薬の前に、先に何か腹に入れないと。食べられそうなものあるか?」
「牛丼!」
即答されて、くらりと立ち眩みがする。
「お、前……」
病み上がりに、流石にそれはないだろうと躊躇いつつ諌めると、不満そうな声が盛大に上がった。
「えー!?だって、腹減ったんスもん〜」
驚異の回復力に驚きつつも、これなら大丈夫だろうと安堵が広がる。
「ガッツリ食べられるものはないんだけど……」
言いながら、室内灯を一番小さくして点ける。寝起きの太陽を疲れさせないように。
ほんの少しの明かりだが、ようやく手元が確かになった。
そのまま部屋の隅に移動し、小さな冷蔵庫を開けると、冷やしておいたプリンやゼリーなど喉越しの良いデザート類をいくつか手に取って見せる。
「こんなのしかなくて」
「あ、プリン!食べたい食べたい」
無邪気に強請る太陽に思わず口元を綻ばせると、明日叶はスプーンを片手にベッドまで戻った。椅子を引っ張ってきて、枕元に座る。
「ほら」
「………へ?」
明るくなったせいで、今度ははっきりと見える。
鳩が豆鉄砲喰らった表情とは、これのことを言うのか―――と思うほど呆けた顔の太陽が、明日叶と、目の前に突きだされたスプーンとを交互に見ていた。
その視線から逃れるように顔を俯けると、明日叶は恥ずかしさを隠すために、わざとぶっきらぼうに右手を差し出す。
「早く」
「……え、あ、はい!」
妙に畏まった返事を返すと、太陽は恐る恐る、窺うような上目遣いのまま口を近づけた。
しばらくして、どうやら冗談でもないらしいと悟ったのか、ぱくりとスプーンを口に含むと一気に笑み崩れる。
「う、まーい!二重の意味で!!」
「そりゃよかったな」
へらりと相好を崩した太陽に対し、無表情を装ったまま機械的に手を動かす。
―――らしくないのは、自分が一番よく分かっている。
その証拠に、今度は自分の方こそ熱が出るんじゃないかと思うほど、顔が熱い。

ふと、目の前の人物が無口になったのを不思議に思い顔を上げると、もぐもぐと口を動かす太陽の頬が、先ほどよりも上気しているのが見えた。
また熱が上がったのかと一瞬心配になるが、その口元にはにかんだような笑みが浮かんでいるのを見て、更に気恥ずかしくなる。
お互いに照れまくって無言のまま、結局太陽は、プリン2個とフルーツゼリー3個を平らげた。






「薬飲んだら、もう少し寝ろよ。朝まで時間あるから」
サイドボードに置かれた時計を確認してそう声を掛けると、頷きかけた太陽が「あ」と思いついたように起き上った。
「その前に着替えてもいい?汗びっしょりで気持ち悪いや」
「あ、ああ、そうだな」
まったく、肝心なところで抜けている。
さっき「汗かいたから喉渇いただろ」と自分で言ったくせに。

一人で背中を丸めていた太陽に、一人には慣れていると笑った太陽に。
自分だけは傍にいてやる、ずっと見ていてやると。
眠っていた本人は知らないだろうが、明日叶はそう強く心に決めていた。
だから今、どんなに照れくさいことだろうと、どんなに慣れないことだろうと、太陽が望むなら何だってしてやるつもりだった。
今日くらいは、思い切り甘やかしてやるつもりだった。
一人じゃないのだと。
自分にだけは甘えてくれて構わないのだと、そう伝えたかったのだ。
言葉にするのは巧くないから、せめて態度で。
なのに、自分の気の利かなさには、我ながら情けなくなってくる。

「あ!じゃあ身体拭いてやるよ。上脱いで待ってろ」
良い事を思いついたと、明日叶が立ち上がる。
新しい部屋着に着替える前に、簡単にでも汗を拭った方が気持ちいいだろうと、単純にそう思ったのだ。
使命感に燃え、ぱたぱたと洗面所に向かった明日叶の耳には、「えっ、あの、その……え〜……!?」と、赤面しながら焦ったように呟く太陽の声は届かなかった。





「はい次、背中」
「や、センパイ、オレやっぱ自分で」
「だから、いいんだって。俺には頼れて言っただろ」
軽く睨むふりをすると、太陽はふわりと視線を彷徨わせた。
「いやー……それとこれとは話が違うってーか……」
「っていうか、背中なんてどうやって自分で拭くんだよ」
歯切れ悪く何事かを呟く太陽を無視して、明日叶はぬるま湯に浸したタオルを太陽の全身に滑らせていた。

半ばムキになっていたことは否めない。
普段からスキンシップ過剰気味の太陽が、何故か体調の悪い今に限って、何でも自分でやろうとするのが気に食わなかったのだ。
(何をいまさら、水臭いことを)
そんな苛立ちが、どうしても湧きあがった。
何度も「オレが」「いや俺が」のやり取りを繰り返した後、最終的に明日叶が“年上の権限”を振りかざし、言うことを聞かせることに成功して今に至る。
やや無理やりに脱がせた服のしっとりとした冷たい重みに、改めて彼を襲っていたのが相当の高熱であったことを思い知る。
強すぎないように、けれどしっかりと拭きとってやる。
少しでも深く、心地良く眠れるように。

「ほら、次」
「いやいやいや!そこはちょっと……!!」
「なんだよ、別に今更恥ずかしがること」
ないだろ、と言いかけた言葉が、ひゅっと音を立てて引っ込んだ。
伸ばされた手を咄嗟に封じ込めようとした太陽だったが、一瞬だけ明日叶の方が速かった。
流石に下着まで剥ぎ取ろうという気はさらさら無かったが、せめて足くらい拭こうと思い、ジャージの腰に手を掛けようとしたのだが。
慌てふためく太陽の手に払われて、その手のひらが思わぬ場所に触れてしまった。
「……………」
「……………」
落ちる、気まずい沈黙。
「……………」
「……えーと、………ごめんなさい」
数秒の後、間抜けなほど素直な謝罪が零れ落ちた。
今までの流れの、一体どこをどう捉えたらそうなるんだ―――!と、堪らない羞恥心から問い詰めてやりたい気分だったが、よくよく思い返してみると、滅多に自分からスキンシップを取らない明日叶にしては……その、もしかすると過剰だったかもしれない、と思い至る。いろんな意味で。

「うわー!だから言ったのに!だから困るって言ったのに!!」
わしわしと髪を掻きむしり、声にならない声でそう叫んだかと思うと、太陽は猛然と換えの服を引っ被り、くるりと背をこちらに向けベッドに潜り込んでしまった。
意外な展開に、今度は明日叶がきょとんとする番だ。
「オレ、超恥ずかしいじゃん!明日叶センパイ、オレが病気だから親切にしてくれてんのに、一人で勝手に妄想して興奮して……ああああ最悪!不純すぎ!!」
布団から出た右耳が、見事に真っ赤に染まっている。
普段、性的なことには奔放な太陽が、ここまで恥ずかしがるのは珍しい。
本当に、自分でも制御不能で理不尽な現象だったのだろう。
「無理!やっぱ無理っス!本調子じゃないと自制上手く出来ねー。ごめんセンパイ、今オレ優しくされたら、センパイの何もかもに欲情しちゃってダメだ」

だからお願い、もう大丈夫だから。

言外に『一人にしてほしい』と、恥ずかしそうに、けれどどこか辛そうにそう言う太陽に、明日叶は寄り添うようにしてベッドの端に腰かけた。
顔が燃えるように熱い。動悸が早くて、心臓が痛い。でも。
汗ばんで脈打つ手のひらを強く握ると、大きく息を吸って腹を決める。
「………って、ちょっと!センパイ、オレの話聞いてた!?」
ごそごそと黙って布団に入りこんでくる明日叶に、仰天した太陽がこちらを向く。

(だから、そんな大きな声出しちゃダメだって言ってるのに)

まだ何か言い募ろうとする太陽の口を、固く引き結んだ唇を押しつけることで黙らせると、明日叶はまだ仄かに火照りを残す胸元に額をつけて呟いた。
「……お前の身体に負担にならない程度なら―――構わない」
素直に言える、限界ギリギリのラインでOKサインを出す。
今度こそ、ぼん!と音が立ちそうなくらい赤面した太陽が、確認の言葉もそこそこに、噛みつくような乱暴なキスを与えてきた。
荒れた唇の熱さに、目眩がする。
加減が出来ないのか、掴まれた腕がいつになく痛い。
けれど、その全てを穏やかな気持ちで受け止めながら、明日叶はもう一度心の中で呟いた。

決めたんだ。
こいつが必要とする時に、傍にいるって。
こいつのためなら、何だってしてやるって。
だから。
(―――若干、考えていたのとは方向性が違うような気もするけど)








数日後、お約束通り寝込むことになった明日叶の元に、差し入れと称して牛丼を持ち込もうとした太陽の頭を、はたき倒したメンバーがいたとかいないとか。












◆あとがき◆

先日、わたべそら様にお誕生日プレゼントとして献上した一品ですーvv
……ええ、思い切り日にち間違えましたけどね……orz(←阿呆)
実はこれ、以前アップした「強がり」の続きになってるんです。
その後の展開を書いてみたいなぁと思ってたんですよね、へへへ♪
風邪ネタ、大好物です!掠れた声、いつもより熱い肌、潤む瞳!
何より、欲求自体が巧くコントロール出来ないところに非常に萌えます!
これ、Hシーンまで書きたかったんだけどなぁ……ふむ、書いてみる、か?(独り言)

というわけで、たった今の思いつきにより、もしかすると続くかもしれません(笑)
この際短編でもいいや!
もう、熱でドロドロのぐちゃぐちゃになってる太陽が書きたいんだい!(何この主張)



2011.2.12 up







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