「うーん………」
今日、何十回目かのうなり声を上げて、明日叶は悩んでいた。
「うー………うーん…………」
顔を上げたかと思うと、またすぐに突っ伏してしまう。



午前の講義が終わった教室。
ランチに休憩にと他の生徒はみんな出て行ってしまい、室内には明日叶一人だ。
視線が無いのをいいことに、明日叶は思う存分、苦悩に身を捩っていた。





「あ〜すかちんっ♪」
背後から軽快な声が掛かる。
「うー………ん?あれ、ヒロ。……と、興さん」
伏せていた顔を反射的に上げて振り向くと、そこには同じグリフのメンバーであるヒロと興さんが立っていた。二人とも、それぞれに本やノートを片手に抱えている。

どうやら昼食に誘いに来てくれたらしい。
この二人は時折こうして、一人になりがちな自分を気遣ってくれる。

「ね!どーかしたの?明日叶ちん」
屈託の無い笑顔でヒロが尋ねてくる。と、興さんが真面目な顔で言った。
「あすか、すごく、変だった」
「こら興ちゃん…!」
慌ててヒロが嗜める。
「ごろごろごろごろ、なにかのまじないか?」
明日叶の顔にさっと朱が走る。
机の上で不気味に悶える姿を、見られてたのだろう。―――恥ずかしすぎる。
「な、なんでもないんです」
「えー?なんでもないって感じじゃないけどなー」
「うむ。…かんがえごと?」
「う……」
ヒロはともかく、珍しく興さんに図星を指されて動揺する。
それを見取って、ヒロが目をキラキラさせて身を乗り出してくる。
「なになにー?ボクたちで相談に乗れることならぁ、聞いてみちゃってよ♪」
「え、あぁ………えっと………」
一瞬、逡巡する。
なんとなく自分ひとりで解決したかった問題なのだが、正直二週間かけて考え抜いても良い案は浮かばず、前日の今日になってもまだこうして唸り続けている始末なのだ。こうなったらもう、誰かの知恵を拝借するのもありなのかもしれない。
意固地を張って、結局何も出来なければ本末転倒なのだから。

そこまで考えて、明日叶は躊躇いがちに口を開いた。
「あの……さ、ものは相談なんだけど……」












ドアの前で、深呼吸をする。
けれど、全く以て鼓動の音は静まらず、ますます緊張が高まっている気がするのは気のせいだろうか。
ノックをしようと伸ばした右手が、なんども空中で止まっては落ちる。
既にそれを4回は繰り返している。
……我ながら、肝が小さくて情けなくなる。
左手に乗せた箱が、なんだかずっしりと重みを増してきた。
「…………よし」
もう一度大きく息を吸って、右手をドアに伸ばした。―――その時。


「おいおいガッティーノ。なーにやってんだぁ?」
かちゃりと扉が開き、長身の男が顔を覗かせた。
今度こそ叩こうと決意した拳が、また空中で不自然に止まる。
「………でぃ、ディオ」
思わず全身が硬直する。
当たり前なのに。こいつの部屋なんだから、こいつがいて普通なのに。
なのに……なんだか変な汗が出てきた。
そんな明日叶の様子を面白そうに眺めると、ディオはドアの隙間を大きくして顎をしゃくった。
「ほら、入れよ。待ってたんだぜ?」
「あ、うん」
神妙に頷いて、持っていた荷物を両手で持ち直す。
「……っく、なにお前、緊張してんの?」
「ち、違う!!」
吹き出すディオに反論して、明日叶は室内に足を踏み入れた。



部屋に入ると、ふわり、と馴染んだ匂いが薫った。
いつもは大体、彼が自分の部屋に押しかけてくることが多いから、この部屋に入るのはそういえば数えるほどしか無い。
とくん、と、先ほどまでの忙しないものとは違う感覚で、鼓動が跳ねる。
華やかで甘く、けれどどこか鋭くて。
―――目の前の男が、いつも身に纏っている香りだ。
まるで本人をそのまま表現したようなその匂いに、明日叶は「香水か?」と聞いてみたことがある。
すると、「付けてねぇよ」と即答された。「多分、整髪料かなんかじゃねぇ?」と興味無さそうに言った彼だが、明日叶は知っていた。

シャワーを浴びた後、濡れた髪のまま自分を抱く時も、いつもこの香りが優しく絡み付いてくることを。

シャンプーも洗剤も香水も。
使う人それぞれの体臭と馴染んで、千差万別に匂いが変わるという。
明日叶の胸を甘く揺らすこの香りは、きっとこの恋人だけのもの。
まるで身体ごと抱き締められているかのような感覚に、明日叶はほんのしばらくぼんやりと浸った。




「ガッティーノ」
急に香りが強くなったかと思うと、いつの間に距離を縮めたのか、目の前に精悍な顔が迫っていた。
唇が触れそうなほど、近い。
「なっ、なんだよ」
考えていたことがことだけに、非常にバツが悪い。
思わず投げやりな言い方になった。
「それは俺のセリフ。お前、なーにぼんやりしてんだよ。主役ほっぽりだして」
思わず狼狽する明日叶を、んー?と器用に片眉を上げて覗き込んでくる。
まさかお前に抱き締められてるとこを想像してました、なんて言えるはずもなく。
「な、なんでもないっ」
平静を装って、二つ用意されていた椅子のひとつにどかりと腰を下ろした。
くつくつと笑いながら、ディオがテーブルの上を片付け出す。
意地の悪いこの恋人は、なんだか全て見通しているような気がしてならない。
明日叶は赤らんだ頬を宥めながら、ディオの行動を見守っていた。



「さ、準備できたぜ」
ほら、とグラスを渡された。
「……え?」
思わず受け取る。ごくシンプルで細身なフォルムの中に、淡い蜂蜜色の液体が満たされていた。ぱちぱちと小さな破裂音がガラスの中で踊る。
「たまにゃいいだろ?そんなに強くねぇし」
勉強机の前に並べたもう一つの椅子に長い足を組んで座ると、ディオは乾杯、と強引にグラスの縁を合わせてきた。かちん、と澄んだ音が美しく響く。
一口飲んで、ディオが意外そうに尋ねてきた。
「なに明日叶、お前飲めねーの?」
「いや、そういうわけじゃ」
グラスを手にしたまま液体を見つめる明日叶に、誤解したらしい。
明日叶も、一応はアメリカ育ちだ。
強くはないが、嗜み程度にはアルコールも飲むことは出来る。
けれどこんな風に、ちゃんとボトルから注いでもらって飲むお酒は珍しい。
大抵は大衆向けのバーなにかで、同じ年頃の友人たちとジョッキを傾けることの方が多かったから。
「綺麗だなって思って」
透明なグラスに揺れる、優しい色。
絶え間なく弾ける金色の粒。
繊細なガラス細工。
「………ガッティーノ。あんまり可愛いこと言ってると、喰っちまうぞ」
ニヤリと笑いながら、ディオがわざとからかうように低い声で囁いた。
「なに言ってんだバカ!」


そうだ、そうだった。
これからのことを考えたら、少しは飲んでおいた方がいいかもしれない。
アルコールの力を借りれば、少しはこの気恥ずかしさも誤魔化せるかもしれない。
そう思い当たって、明日叶はグラスの中のシャンパンを一息に飲み干した。

「おいおい」
驚いたようにディオが声を上げる。
それを無視してことん、とグラスをテーブルに置くと。
明日叶は持ってきた箱をずいっとディオの方へ押しやった。
「ディオ、これ………俺から」
「ん、なんだ?」
「ぷ、プレゼント」
「へぇ」
尻すぼみになる自分と逆に、ディオの声は楽しそうだ。
「お前、何が欲しい?って聞いても、全然まともに教えてくれないからさ」
「なんだよ。ちゃんと言ったじゃねーか」
「あんなの………!そ、うじゃなくて」


ここ2週間、ディオにまとわりついては質問攻めにしていた。

誕生日、何が欲しい?

明日叶としてはものすごく真剣に質問していたのに、ディオときたらそのたびにニヤニヤ笑って冗談を言うばかりで相手にしてくれない。
仕方なく自分でリサーチしようと思い立つが、中々どうして、これだ!と思える品が見つからなかったのだ。
そもそもディオは、普段からあまり物に執着しないように思えた。

多分こいつのことだから、何をあげても喜んでくれる気はする。
けど、それは自分にとって「喜ばれてない」ことに等しい。
「これだから」嬉しい。「これが」欲しかった。……そう言わせたかったのに。
結局前日までなんの名案も浮かばず、途方に暮れていたというわけだ。


「開けていいか?」
意外にも嬉しそうな声音が、尋ねてくる。
「あ、うん。……あ、でも、そんな、期待するなよ!?すごい無難なもので……あんまり、見栄えもよくない、し……その、お前も、好きかどうか」
言葉にすると次第に不安が膨らんできて、思わず箱の蓋に手を乗せる。
―――やっぱり駄目だ。
「やっぱり無し!これ、無しな!」
「明〜日叶〜〜」
箱を奪おうと伸ばした手を軽く避けて、ディオが難なく蓋を持ち上げる。
「お、旨そうじゃん」
中から現れたのは、小さめのホールのショートケーキ。
クリームの飾りは微妙に曲がったりヨレたりしているが、ふわふわと厚みのあるスポンジが食欲をそそる。
「うぅ……あー…………」
呻き声を上げて項垂れた明日叶の耳は、これ以上ないくらいに赤く染まっていた。




昨日の放課後、ヒロと興さんに頼み込んで教えてもらったレシピ。
『あの……誕生日に…さ、もらって嬉しいものって、なんだと思う?』
きょとん、と一瞬首をかしげたヒロは、次の瞬間、ニヤリと笑った。
『はっはーん♪明日叶ちん、さーては……』
『あー!!やっぱいい!ごめん!忘れて!!』
ぶんぶん両手を振って、この話は無かったことにしようとした。が。
『なんでよー。相談、乗るって言ったじゃん』
ニヤニヤ笑いを消して、ヒロがウィンクする。
『確かにねー、あの人、欲しいものとか分かりにくそーだもんねぇ』
すぐに事情を察したヒロが、うーむと明日叶の真似をして眉を顰める。
『アクセ、とかも意外とこだわりありそうだしなぁ。服?あー、なんか興味無さそう。食べ物……うん、まだこれが一番ありそうかなぁ……興ちゃんは?何がいいと思う?』
『たんじょうびのぷれぜんと?おれは、けーき』
即答した興さんに、ヒロがぽん、と手を叩く。
『そうだよ、ケーキ!無難だけどさ、それだけに絶対不可欠じゃない?ケーキの無い誕生日なんて、ありえな〜い!』
『うむ。けーきは、ぜったい、いる』
真面目な顔で大きく頷く興さんは、大の甘党だ。
『でも……あいつ、甘いもの好き、なのかな』
どちらかというと、あまり食べているところを見たことが無い気がする。
『だーいじょうぶ!甘さ控えめに作ることだって出来るからさ♪それに、明日叶ちんが手ずから作ってくれたものに、ぜぇったい文句なんて言わないと思うよ』
っていうか、文句あるなんって言ったら許さない。
ぼそりと物騒な声音で呟くと、ヒロは笑顔で明日叶の腕を引っ張った。
『ちょうどいいじゃん!今日、午後は亮ちゃんたちリーダー組で打ち合わせするから自習だって言ってたし!早速厨房借りに行こうよ!ね、興ちゃんも手伝ってくれるでしょ?』
『なまくりーむ、のんでもいいなら』
『はい決まりー!しゅっぱぁつ!!』
二人の、想像以上にスパルタな指導を受けて完成したのが、これだった。



「なに、これ、お前が作ったのか?」
「そ、そう………」
もう恥ずかしくて居た堪れなくて、顔が上げられない。
手作りのものなんて、重くなかっただろうか。
甘いものなんて、迷惑だったんじゃ…。
もっと、上手に出来ればよかったのに……。
次々と嫌な想像が浮かんできて、明日叶は下を向いたままぎゅっと目を瞑った。
「あーすか」
ディオが呼ぶ。
「こら、明日叶」
それでも俯いたままでいると、ぽこん、と頭を軽く叩かれた。
おずおずと顔を上げると、ディオが珍しく、本当にこの男にしては珍しく、含みも無さそうに晴れ晴れと笑っていた。……思わず見蕩れてしまう。
そのまま、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられた。
「ありがとな。旨い」
もう片方の指が、クリームで濡れている。
「おっと、悪い悪い。せっかくなんだし、ちゃんと食おうぜ」
ぺろりと指を舐めると、ディオはどこから取り出したのか、プラスチックのフォークを2本、取って戻って来た。
「コンビニ行くたび溜ってて困ってたんだよな。捨てずにおいてラッキーだったな」
そのうちの一本でそっとスポンジを切り分け始める。
丸いケーキは、曲線を描くフォークの背でやや不恰好に切り取られた。
「……ちっ、せっかくキレーに出来てんのに……」
小さな舌打ちが、本当に悔しそうに聞こえて、明日叶はぽかんとする。
そんな明日叶を横目に見て、ディオが苦笑する。
「なんて顔してんだよ。マジで嬉しいって、言ってんだろ」
「いた」
ぴん、と額を指で弾かれる。
「なにお前、俺が喜んでないとか思ってるワケ?」
「いや、そう、じゃないけど……」

正直、そこまで喜んでもらえるとは全く思っていなかった。
苦し紛れの無難な策だし、それにどうしてだろう……この男が「何か」で喜ぶ姿を、なぜか想像出来ずにいた。

「お前が頑張って作ってくれたんだろ?」
そんなことを考える明日叶を見透かしたように、ディオが目を細める。
「嬉しくねーはず、ないだろ」


―――あ。
この目は、“本当”だ。
なぜか、明日叶にはそう感じられた。直感のように鋭く、確信のように自信を以て。
いつもの研いだ刃のような視線じゃなく、切れ長の瞳に優しく揺れる、凪いだ光。
詐欺師がほんの時折、自分にだけ見せる、“本当”だ。
じわり、と心の奥底でが温かいものが滲む。
嘘吐きで見栄っ張りで人を騙すのが何より上手くて。
そんな彼が、まるで戒めのように深い深い場所に沈めた本質の部分を垣間見せてくれるたび、明日叶は泣きたくなった。
柔らかで、不用意に触れば簡単に傷が付いてしまいそうなディオの“本当”の心。
それに触れられるどうしようもない幸福感に、泣きたくなる。
そう、たとえば今みたいなとき。


「よ、喜んでもらえたならよかったよ」
ようやく、素直に嬉しさがこみ上げてきた。思わず声も上ずる。
むしゃむしゃと景気良く頬張るディオを見てほっと安堵しながら、明日叶も自分の分に手を伸ばした。
一切れ口に運ぶと、なるほど、ヒロが言っていた通り、市販のものよりずっと控えめに抑えられた甘味が口中に広がる。
けれど、決して甘くないわけではなく。
甘党の明日叶自身も満足できるような、絶妙な風味に仕上がっていた。
「でも、ディオがケーキ食べるとことか、あんまり想像出来なかった」
正直にそう言うと、ディオは「そうか?」と眉を上げた。
「普通に食うぜ?そんな、大好きってわけじゃねーけど」
でも。
「これはすげー旨い」
ふ、とディオが笑う。

まただ。
途方も無く優しい笑み。
今日はこいつの誕生日のはずなのに、俺ばっかり幸せな気持ちになってる気がする。

「でもディオ」
「んー?」
「ほんと、何が欲しいのか、ちゃんと言ってくれればよかったのに。そしたらもっと………」
もっと、喜ばせることも出来たのに。
知らず、拗ねたような口調になる。
「あー?俺、何回も言ったけど?」
「だっから……!そういう冗談じゃなくて……!」
「冗談なんかじゃねーよ」
突然立ち上がると、ディオは長身を折るようにして明日叶の上に屈み込んだ。
耳元に口を寄せて囁く。
「ガッティーノ。欲しいものはお前だって、何度も言ったろ……?」
「………っ」
詐欺師が武器にするこの声は、本当に、どうしようもなく甘くて、ずるい。
囁かれただけで、うっすらと視界に霞が掛かるような気分になる。
「そ、ういうんじゃなくて!物、とか!」
はっ、と可笑しそうに笑う声がした。
今度は真正面から、その瞳に射竦められる。
あれ?と気付いた時には遅かった。
その瞳には、純粋な優しさだけに満ちていた先ほどとは違い、彼らしい、鋭い光と激しい色が戻っていた。
「お前は、俺の物、だろ?明日叶……」
言い終わると同時に、唇を奪われる。
甘い、甘いキス。
唇を合わせただけなのに、ふわりとクリームの甘さが香り立つ。
「……………っふ………」
しつこいほど長い口付けに、酸素を求めて顔を背けると、ディオが笑った。
「さて、と」
すっかり空になった皿に、持っていたフォークを置いてディオが振り向いた。
「次は、メインディッシュをいただいてもいいか?」
口の端のクリームを舐め取った動作が、舌なめずりのように見えて背筋が震える。
耳の下に優しく手を差し込まれ、身体がぴくりと反応した。
「祝って、くれるんだよな?」
いつものように意地悪くからかうようなセリフなのに、そこに隠し切れない嬉しそうな声音が滲んでいて、明日叶は思わず苦笑してしまった。
「……俺に、出来ることなら」
…う……しまった。
言いすぎたか、と後悔した時には既に遅し。
「言ったな?」
くすり、と目を細めたディオは楽しそうに笑った。
「覚悟しろよ?――存分に、祝ってもらおうか」
獰猛な誘い文句に似つかわしくない、優しいキスが降ってくる。
明日叶は迷わずその首に、腕を伸ばした。









◆あとがき◆
はいはいはいはい!ハッピーバースデーディオ!!
あー書けた。あー間に合った。あー楽しかった(笑)
なんか当初の予定から大幅に変更しまして、ただのほのぼのになっちゃいました。
手作りケーキっていう定番プレゼントに、思いがけず素直に喜ぶディオが書きたかったんです。
だって大好きな明日叶からのプレゼントだもの。ヒロじゃないけど四の五の言ったら……(ぼそ)
ディオもたまには年相応の顔するといいよ!明日叶ちんの前でくらいはね!
でもケーキ→生クリーム→お祝いと来たら、お約束の展開が書きたくなるのがサガってもんです。
なので多分、続きます(笑)

2010.3.23 up







×ブラウザを閉じてお戻りください×