「あれ?明日叶ちん、もう酔っ払っちゃった?」 ぷにぷにと頬をつつかれる。 けれど、その指の感触も、はしゃいでいるようでどこか心配そうな空気を含んだその声も、遠い別の場所で起きているもののように感じられた。 しっかりと見開いているはずの視界が、まるでシャワーブースの磨り硝子越しに見る世界のように、曖昧にぼやけて溶ける。 「明日叶、大丈夫かい?」 また、遠い場所から自分を気遣う声が聞こえて、明日叶は思わずコクコクと首を縦に振った。 「ふぁい、全然、大丈夫ですよ」 ……なんだか、自分の声すらふわふわと現実離れして聞こえる。 先日浴槽の中に落としてしまった防水ケース入りの音楽プレーヤーが、確かこんな音をしていたような気がするな―――と、ふと考える。厚い膜の中で、もがくように低く鼓膜を揺すぶる、不思議な音。 「えてして、平気じゃない人間ほど『大丈夫』って言う、典型的な例ですね」 「おいおいガッティーノ。お前、ホント大丈夫か」 大丈夫だって言ってるのに。 ディオの珍しく真剣な声が可笑しくて、明日叶はふふっと笑った。 確かに五感は全て穏やかに鈍っているのが分かるが、全く不快感は無い。 それどころか、グリフのメンバー全員がこうして一同に会し、わいわいと取り留めの無い話をしながら歓談している声が優しく明日叶を浸して、ゆるやかに眠りの淵へと引っ張ろうとする。 楽しいのに。すごく、幸せなのに。 少しずつ、身体の力が抜けていく。 もう少し、みんなの輪に加わっていたいのに。 「あれ〜?おっかしいなぁ、これ、そんなに強くないんだけどなぁ」 ヒロが眉を寄せて、ビンのラベルを確かめる。 「明日叶って、そんなに酒、弱かったか?」 「……いや。ただ、……」 慧が少し、言いよどむ。 「ただ?」 「今日は妙にピッチが速かった、気がする。……雰囲気に酔ったんじゃないのか」 「それって、すっっごく楽しかったから、ってコト?」 「…………」 嬉しそうに尋ねるヒロを横目に、慧は黙ってグラスを傾けた。 らしくない己の発言に照れたのか、その仕草はややぶっきらぼうにも見える。 「へぇ。嬉しいじゃないですか。明日叶も本当に、オレたちに心を許してくれるようになりましたねぇ」 しみじみと呟きながら、ソファに座ったまま、眞鳥が嬉しそうに身体を反転させる。 背凭れに片肘をついて、隣に座る明日叶を見遣った。 既にうつらうつらと首が揺れているその姿を見て、フフと意味ありげに笑う。 「眞鳥さん、目が怖いぜ?」 「ふふふ。いやね、やっぱり嬉しいもんですよぅ?自分の誕生日を祝ってくれてる宴席で、こうまで無防備に可愛らしく酔いつぶれてくれるなんて」 同じく面白そうに目を煌かせている後輩のディオに、にっこりと微笑んで宣言する。 「これはまだ、オレにも勝算はありますかねぇ」 小さく首を傾げる仕草はたいそう可憐で優美に映ったが、彼の本音がその表情そのままだとは誰一人思ってもいないので、ラウンジは一瞬、妙な冷気に包まれた。 ヒロが口笛を鳴らす。 「珍しいな眞鳥さん。あんまり何かに執着するタイプにゃ見えなかったんだが。俺の勝手な想像でしたか」 「ホント勝手な偶像ですねぇ。オレは、これだと決めたら結構、粘り強いですよぅ?」 「中川。お前の場合、しつこいという方が正しいだろう」 「しつこい男は嫌われるぜ?」 「おや。百夜通いの例もありますがねぇ」 「お前たち…笑顔で火花散らすのやめてくれよ」 こめかみを軽く揉みながら、溜息交じりに亮一が止めに入る。 眞鳥とディオの笑顔の舌戦なんて恐ろしくて仕方ないよ……と、ひとりごちる。 と。 「おやおや」 ことん、という小さな音の後に、とさり、という重みを伴った音が続く。 それと同時に、眞鳥の心底楽しそうな声が響いた。 「あー!明日叶ちんっ!?」 「これは……どんな大サービスなんでしょうねぇ」 くすくすと笑いながら、肩から自分の膝の上へと倒れこんできた明日叶の頭を指先で弄る。 少し癖のある柔らかな髪が、白く細い指先に絡み付いてはひらりと外れる。 その感触を楽しむように、何度も何度も繰り返しながら、眞鳥は小さく苦笑した。 「う〜ん…逆にここまで危機感を持たれないっていうのも考えものでしょうか。ねぇ、藤ヶ谷」 「………なぜ俺に聞く」 仏頂面の慧にヒロが思わず噴き出しかけ、ジロリと睨まれる。 「あ〜あ、明日叶ちん。知らないよボク。まだまだだなぁ。中川さんの善人面にここまで騙されちゃうなんて」 「なんて言い様ですかぁヒロ。オレは優しい人間ですよぅ?」 「………だから目が笑ってないんだって、中川さん」 ディオが、それにしても、と肩を竦める。 「こいつがここまで気ぃ許すのって珍しくないか?」 「確かにね。いくら仲間内だって言っても、ここまでは……ねぇ?」 眞鳥の膝の上ですやすやと気持ちよさそうな寝息を立てる明日叶を、それぞれが覗き込みながら首を捻る。 すると、眞鳥が珍しく不機嫌そうな色を顔に表して言った。 「―――似てるんでしょうよ」 「え?」 彼には似つかわしくない低くてうんざりしたような声音に、思わずヒロが聞き返す。 ディオが面白そうに眉を上げた。 「似てる?何が?何に?」 ここでディオが堪えきれないというように笑い出す。 「なるほどな。眞鳥さん、あんたも大概……」 「お気の毒に、とかいう言葉は、全力でご遠慮しますよ」 不機嫌さを消さないまま、眞鳥は明日叶の髪を一房指に掬って、強めに引っ張った。 んん、と視線の下で、明日叶が小さく身じろぎする。 はぁ、と憂鬱そうに溜息を零して、眞鳥が天を仰いだ。 「そんなに似てますかねぇ?」 「タッパだけは」 くつくつと肩を揺らして笑い続けるディオを見遣ってもう一度溜息を吐くと、なぜか今度はニヤリと笑う。 「でもねぇディオ。例え“勘違い”であっても、“間違えてもらえる”分、オレの方が優勢ってことですよね?」 「………ほんと、しつこいんだな」 呆れたように返すディオを、眞鳥が懲りずに挑発する。 「負け惜しみですか?アンタらしくもない」 「俺は、誰かの身代わりなんてまっぴらごめんですよ。俺は俺のやり方でやらせてもらう」 「へぇ。それは大層な自信ですねぇ。アンタのお手並み、拝見させてもらいましょう?」 言葉だけを聴いていればなんとも不穏な会話だが、双方共にどこかこの遣り取りを楽しんでいるような節がある。その証拠に、どちらも至って穏やかな笑顔を保ったままでいる。―――たとえ、目は笑っていなくても。 「明日叶……厄介なことにならないうちに、起きた方がいいぞ」 「ム〜リムリ、亮ちゃん♪明日叶ちんに水でも飲まそうって思ってんのかもしんないけど、そんなことしたら、中川さんに殺されちゃうよ」 「ヒロ……お前、笑顔で恐ろしいこと言うなよ」 「いや、賢明な判断だ」 「桐生、お前まで…」 「これが一番の誕生日プレゼントってことかぁ。あーあ、ボクの用意したお酒もイイ線行ってたと思うんだけどなぁ」 「うむ。これ、うまいぞ」 「はじめちゃん!起きてたの!?」 「フン。子供にしては中々の選択だな」 「子供じゃないですよ桐生さん!」 「あ〜〜〜」 亮一が頭を抱えるのと、廊下から特徴のある足音(※駆け足)が聞こえてくるのと―――恐ろしいことに、寝惚けた明日叶がソファの上で寝返りを打ち、眞鳥の腰辺りに顔を埋めるのは同時だった。 「たっだいまッス〜〜〜〜!!飲み物お菓子おつまみ、買って来たッ………」 バァン!と派手な音を立てて開け放たれたドアが、その余韻を残したまま部屋の空気を凍りつかせた。 ―――いや、正確に言うと、凍りついたのは亮一と、走りこんできた太陽の二人だけだったのだが。 ヒロとディオは面白そうにニヤニヤしているし、眞鳥に至ってはご満悦の様子を崩していない。興はいつも通り、黙々とテーブルの上のチョコレートを摘んでいるし、桐生は興味無さそうに文庫本を捲っている。 唯一、慧だけがほんの少し気まずそうに視線を逸らせた。 静まり返る室内で、キィ、と戻ってきた扉が小さく軋む音を響かせた。 「セ」 きっかり5秒、その場に固まって、ようやく太陽が声を絞り出した。 たった一音のその声に、思いがけない色を感じ取って、眞鳥が意外とばかりに両手を挙げた。 「おやおや。わんこもそんな顔するんですねぇ♪」 にっこりと太陽に笑いかける。 「オレの横で安心しちゃったみたいでしてねぇ。あんまり可愛いんで、好きにさせちゃってました」 ね?と髪を撫でると、明日叶がシャツに埋めた顔を僅かによじる。 う、ん…と小さくくぐもった寝惚け声が聞こえた。 後に、亮一は語っている。 人は怒りの臨界点を越えると、本当に何かが引き千切れるような音がするのだと。 「ぶち」だか「ぱちん」だか、正確にはわからないけれど。 一瞬でその場の空気が燃え上がるのが分かったと。 そう、亮一は語っている。 「失礼します」 眞鳥に対して律儀にぺこりと頭を下げると、明日叶を担ぎ上げたまま、太陽は足早にラウンジを出て行った。 完全に酔いつぶれている明日叶は、太陽の肩の上でもすやすやと眠り続けている。 「あーあ。明日叶ちん、明日学校来れるかなぁ」 バカは加減ってもんを知らないから……と、ヒロが顔を顰める。 「だからやめとけって言ったんだよ」 亮一が肩を落として頭を掻く。 「太陽のやつ、あれで結構独占欲強いんだぞ。明日叶が可哀想だろ」 「可哀想なのはオレですよぅ」 とっくに空になったグラスをテーブルから取って、残った氷をカラカラと鳴らす。 「これくらいの仕返し、してやっても罰は当たらないでしょ」 しれっと言って、破片を含んで噛み下す。 「ま、確かにな」 意外にもディオが賛同して、立ち上がると眞鳥のグラスに酒を注ぎ足してやった。 「やっぱり、分かってくれるのは同志だけってことですかねぇ」 「うん、ボクも分かる気がするなぁ。あれは、キツいよね」 「まぁ…俺も、わからないでもないけどさ、眞鳥の気持ち」 「飢えて死にそうな時に、決して手に入らないものが、目の前で食べてくれと言わんばかりに揺れているのは、挑発以外の何者でもない」 「おなかすいてる。食べ物、ある。食べようとする。それ、自然」 「でしょう?」 室内に散らばって成行きを見詰めていたメンバーが、ソファの周りに集まる。 「おや、藤ヶ谷も分かってくれますか」 その中に意外な姿を認めて、眞鳥が嬉しそうにグラスを差し出す。 珍しく大人しく頷くと、慧も自分のグラスに酒を補充して傍に立った。 「んじゃ、改めて眞鳥さんの誕生日を祝って」 「報われない、可哀想な男たちに」 「……ちょっと待て。その中には具体的に誰が」 「カンパーイ!!!」 半ば自棄のような声を皮切りに、皆無言で喉を鳴らす。 どこか妙な連帯感と団結力を伴った、熱い空気の中で夜は更ける。 「いやぁ……こんなにグリフが一丸となったことなんて、今までにありましたかねぇ?」 ぼやいた眞鳥の声は、一斉に揺れた氷の音で掻き消された。 翌日、明日叶の姿が学校で見られなかったのは言うまでもない。 |
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◆あとがき◆ お誕生日おめでとうございます眞鳥さん! 全っ然!これっぽっちも!眞鳥さんにプラスな話じゃないですけどね!(全力で土下座) 眞鳥さん好きなので、何かやりたいなぁと思いながらも「私にまとあすは無理だ!orz」という 事実に気付き(今更)…すいません、こんなんなっちゃいました(汗) 眞鳥さんと太陽、身長が実は1cm違いっていうのがツボだったので。 太陽と明日叶が結ばれちゃった後も、眞鳥さんやディオ辺りは虎視眈々と明日叶ちん奪回の チャンスを狙ってるといいなぁと思います(笑)そんで太陽が必死に防戦に回るといい。 この架空の四角関係(?)に一人で萌えてました。諦めの悪い眞鳥さん、ものすごく好きです。 (慧は残念に思いながらも、一歩引いてるといい!) まぁあれです、とりあえず眞鳥さんおめでとうの言葉を入れたかったんです、せめて。 こんな扱いですけど、大好きです。Happy Birthday、眞鳥さん♪♪ 2010.5.30 up |
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