ED7後のお話です。
ネタバレ&捏造注意。


























なんて、キレイな人だろう。





男相手に―――いや、多分、他人に対して初めてそう思った。


合わせた視線は、まるで糸で縫いつけられたように外せず。
不気味なほど跳ねまくる鼓動の音が、皮膚の下から手足を震わせた。
「みんな、紹介するよ。今日からグリフのメンバーになった、明日叶だ」
亮兄の声が、水の中で聞く音みたいにくぐもって聞こえる。
こんな感覚は、知らない。


あれ、……おかしいな。


動揺している自分にようやく気付いたその時、キレイだけど、強すぎる瞳の色が、視線の先でふわりと揺れた。
「よろしく、お願いします」
はにかんだせいで、彼の、緊張に強張っていた口元が僅かに解ける。
それを皮切りに、次々と飛ぶ歓迎の言葉。
もちろん、変わりモノ揃いのうちのチームだったから、ストレートな讃辞ばかりでは無かったけれど。それでも彼は、どこかホッとしたような顔付きで、オレたち一人一人を紹介する亮兄の顔を見上げていた。

「で、こっちが土屋太陽。1年だよ」
ずっと、可笑しいくらいに意識し続けていた瞳が、こちらを向く。
真っ直ぐに射抜かれた瞬間、冗談じゃなく、呼吸が止まった。

「…土屋太陽っス!よろしく、お願いします、センパイ」
「よろしく」


……本当に、オレにしては、一世一代の役者っぷりだったと思う。
平然と、いつものオレらしく能天気に、新しく仲間に加わった上級生に挨拶をした。
彼は、すぐに亮兄の説明の続きに意識を戻してしまい、オレに注がれた視線はほんの数秒に過ぎなかった。けれど。
「チームグリフへようこそ!」
亮兄の陽気な声が響く中、オレはたった一人、確信していた。
まるで、高名な預言者のごとく。もしくは、未来を知るタイムトラベラーのように。

これからオレ自身に起こるだろう変化。
経験したことのない、感情。
そういったものが、きっとこれからオレを襲う、そんな予感。
そしてそれらは、必ずしもオレを幸せな方向に導くものではないのだろうと。
最初から、―――本当に最初から、なぜだかそれだけは分かってしまっていた。
けれど彼が、オレの何かを根本からぶっ壊して変えてしまう、そんな未来だけは、何故か妙に現実味を帯びて確信したのだ。

初対面の相手にそんな感覚を抱くなんて、オレ自身とんでもなく不思議だったし、酷い違和感にちょっとした恐怖まで感じた。
興奮なのか、慄きなのか。
不思議なほど震えだそうとする足を必死に叱りつけながら、オレは誰にも知られないようにぎこちない笑みを浮かべ続けていた。
甘やかさなんて、蕩けるような幸福感なんて、そんなもの一度も感じたことなどなかったけれど。それでも。
『恋に落ちる』という言葉があるとすれば、もしかして。
あの瞬間が、そうだったのかもしれないと。
本当に今更、なんだけど。


オレは考えてる。
















ジャディードでのミッションを終えた後、チームグリフは帰国と同時に、寮での待機処分を言い渡された。
丸五日間、オレたちは外出はもちろん学校にすら向かうことを許されず、寮内で実質的な軟禁状態に置かれていた。



「………五日、ねぇ」
眞鳥センパイのいつもの軽い口調にも、さすがに疲れの色が見え始めていた。
「いい加減、煮るか焼くか、白黒決めろってぇんですよ」
鬱陶しげに、それでも優雅な仕草で前髪を掻き上げる。
さらさらと白い指の間を流れ落ちる薄色の髪をぼんやりと見ながら、オレは壁に凭れて立っていた。ここ数日、変わらぬ重苦しい空気が部屋を満たす。


チームグリフのためのラウンジ。
落ち着いた内装に、穏やかな照明。
看板犬のムッシューがほてほてと尻尾を振って迎えてくれる、ここはオレたち全員の、優しい場所だった。
義務なんかじゃないのに、みんな、気付くといつもここにいた。
別に、一緒に何かをするわけじゃない。特別な話をするわけでもない。バラバラに座って、好き勝手に過ごして。気が向いたら話かけてみたり、手元を覗きこんでみたり。
オレなんかは、しょっちゅうヒロと喧嘩しては『うるさい!』ってセンパイたちに叱られたり。
それすら今じゃ懐かしくて、遠い過去だ。
たとえ、日付にすればつい何日か前のことに過ぎないとしても、それはもう。

ここに、あの頃みたいに全員が揃うことは―――きっと、ない。






「どうなっちゃうんスかね…」
傷が付いて音の飛ぶCDのように、もう何度口にしたか分からないセリフを吐く。
こんな言葉に、何の意味も無いというのに。
結果は、少なくともオレたちチームの行く末は、分かり切っているのだから。

「どうもこうもないだろう。グリフは解散、私たちはそれぞれ別チームに配属となる」
心を読んだかのようなタイミングで、桐生さんがばっさりと切り捨てた。
「それは…!……分かってる、んスけど……」
うんざりした表情を崩さないままに、それでも律儀に答えを返してくれる桐生さんは、結構イイ人だとオレは思ってる。こんな無意味な会話ですら、止めてしまったら、きっとおかしくなってしまう。
オレも、みんなも。







「ディオ、どこ行っちゃったんだろうね」
ぽつり、と零れたヒロの言葉に、ぼんやりと過ごしているように見えた全員の背中が、一瞬だけぴくりと反応した、ような気がした。
互いに気付かせないように、気付かないように。
触れないように、ずっと飲み込んでいた言葉を、最初に吐き出したのはヒロだった。


「何考えてんの?アイツ。ってか、そもそも何があったワケ!?ホークをボコボコに出来たんだったらさ、さっさと縛りあげてマニュスピカに引きずり渡して、『ミッション完了だな』って、いつもみたく自慢げに帰ってくればいいじゃん!」

……帰ってくれば、いいだけじゃん。

消え入るように繰り返したヒロが、ソファの上に抱えた膝に顔を埋める。
誰も何も言わない。何も、言えないのだ。

「あんなになっちゃってるのに……放っておけるなんて、神経おかしいよ。イカれてる。ボクだったら絶対そんなことしない。何があったって、絶対、しない、のに」
人前で決して弱みを見せたがらないヒロの、擦り切れたような痛々しい声。
喧嘩仲間のオレですら、―――いや、だからこそか、その意外すぎる姿に不覚にも胸を抉られた。
亮兄が、そっとその頭をぽんぽんと撫でる。
けど、優しくて前向きで、いつだってオレたちを励ましてくれる亮兄ですら、上辺の慰めなんか口にしなかった。


二人の間に、何があったのか。
オレたちが知らないあの空白の時間に、一体何が起きていたのか。
オレたちは―――オレは、知らない。
それは、知ることすら許されない立場に自分がいたことを、痛烈に思い知らせる事実で。

分かってはいたのに。
なのに、こんなにも苦しいことだったなんて。

ともすると悲劇の登場人物ぶろうとする自分の心を、蹴り飛ばしたくなる。
本当に辛いのは誰だ。
それを履き違えるな、オレ。







「明日叶は」
言葉少なに眞鳥さんが尋ねると、藤ヶ谷さんが力無く首を振った。
「ずっと部屋にいるみたいだな。呼びかけには応じるが…」
姿は見せない、と無表情に呟いた。
こんな憔悴しきった藤ヶ谷さんを、オレは見たことがない。
「ちゃんと食べてるんでしょうね」
眉を寄せる眞鳥さんに、亮兄が同じくらい難しい顔で答える。
「一応、毎日三食しっかり食べるように、簡単なものを食堂で作ってもらって部屋の前に置いてる。チェックするたびにちゃんと無くなってるから、食べてる、…と思う」
歯切れの悪い自分の答えに苛立ったのか、温和な亮兄からは想像出来ないような舌打ちが聞こえた。

「オレ」
思わず声を上げていた。
たん、と背後の壁に手を付いて、姿勢を立て直す。

今、オレに出来ることはなんだ。

「昼メシ買って、センパイんトコ行ってきます」
「いや、だが部屋には…」
言い辛そうに言葉を濁す藤ヶ谷さんに、わざと大きく笑ってみせる。
「大丈夫っスよ!オレ、ほら、こんなだし。落ち込んでる明日叶センパイも、オレみたいなお天気な顔見たら、笑ってくれるんじゃないかなーって」
「バーカ。それ言うなら、“能天気”だろ」
力無げに、けれど幾分か和らいだ目で、ヒロがオレを見上げてくる。
いつもギャーギャー噛み付いてくるくせに。
お前に真っ赤な目なんて、似合わねーんだよ。


「んじゃ早速。購買行ってきまーす!」
大股で部屋の扉をくぐろうとして、ふと歩みを止めた。
「センパイたち、何か食います?ついでに買ってきましょーか」
振り返りながら、思い出したように尋ねてみる。
くっ、と眞鳥さんと亮兄が同時に笑ったのが見えた。
「いらないよ、バカ犬。ボクたちは先に、食堂で豪華なランチタ〜イム☆してくるんだから!」
「お前にゃ聞いてねっつの!」
「バカ犬が食いっぱぐれるのなんかどーでもいいけど。明日叶ちんにはちゃぁんと美味しいもの食べさせてあげなきゃマジ許さないかんね!」
「わーかってるっつーの!いちいちウルセーやつ!」
ぷりぷりと、今度こそ部屋を出て行った太陽を見送って、ラウンジに静けさが戻ってくる。
「敵いませんねぇ、わんこには」
「太陽がいてくれて、救われるな、正直」
ほっとしたように笑う二人の横で、「でも」と興がぽつりと呟いた。

「たいよーのてのひら、血、にじんでたな」
はっとした他のメンバーが、太陽の立っていた壁際を一斉に見遣る。
ベージュ色の壁紙には、僅かに掠ったような赤い色が二本、走っていた。












「あ〜すかセンパイっ♪」
こんこん、となるべく軽快な音になるよう意識して、扉を叩く。
ゆっくりと心の中で、1、2、3、と数えた。
7まで数えたところで、ようやく中から応えが返ってくる。
『……太陽か?』
小さいが、思ったよりしっかりとした声にほっとする。
ぱっと扉に張り付くようにして、答えた。
「そうっス!センパイ、開けてくれません?」

『いや…』と、躊躇うような声が聞こえた。
気にせず、話を続ける。

「明日叶センパイ、オレ、すんげぇ旨そうなコロッケパン買ってきたんス!えーと、エビ、クリーム…そうそうエビっス!最近、寮生ん中でも大人気なんっスよ!オレ、ちょっとばかり購買のおばちゃんに顔利くから、1週間、夕方の片付け手伝うからって頼み込んで、2コだけ取り置きしといてもらったんスよ〜〜〜♪」

一気にまくし立てると、一瞬の間を置いて、室内で静かに笑ったような気配がした。
―――もう一押し。

「センパイ、最近オレの中華まん食べ歩きネタ、聞いてくれてないっしょ?もー、明日叶センパイが聞いてくれない間に、オレ、この辺のコンビニ、全制覇の勢いっすよ」
ふぅ、とわざとらしく溜息を吐いてみせる。


絶対に、ダメだ。
心配してる、とか、元気出してほしい、とか。
絶対に言っちゃいけない。
今のセンパイにそんな言葉は逆効果でしかない。
だからこそ、口の上手い眞鳥さんも、リーダーの亮兄でさえ手を打つことが出来ていないのだ。あの二人でさえ。
今のセンパイに、オレたちの声は、きっと届かない。
きっと、―――あの人以外の声なんて。

オレに出来るのは、センパイを優しい労りの言葉で包むことじゃない。
バカなオレに出来る、唯一のこと。
それは、『バカになりきること』だけだ。
少なくとも、こいつなら傷つけることも、傷つけられることもないと。
空気の読めない能天気っぷりに笑ってしまって、申し訳無いなんて感情もうっかり抱いたりしない、そんなバカになりきることだけだ。
この人の心に、これ以上の負担を掛けてはいけない。―――壊れてしまう。



「実はセンパイ、オレ、さっきバイク飛ばして隣町に新しく出来た店まで行ってきたんス!そしたらそこのチーズカレーまんが絶品でねっ」
へへっと笑って、続ける。
「センパイの分も買ってきちゃった。だから、一緒に食いましょ」
意識して笑顔を保ったまま、待つ。
1、2、3、……今度は5まで数えたところで細く扉が開いた。
小さなノブの音が、水面に落ちた水滴みたいだな、と脈絡もなく思う。
「おっじゃまっしまーす♪」
部屋の主の気が変わらないうちに、やや強引に身体を滑り込ませた。













部屋に入った途端、ふと違和感を感じた。
それが何なのかすぐには思いつけず、ちょっと困惑する。

「……お茶、しかないんだけど…」
申し訳なさそうにポットのボタンを押す明日叶センパイに、ひらひらと手を振って見せた。
「じゅーぶんっス!」
ふと、こちらに向けた背中のこわばりが解けたように見える。
「ごめんな、太陽。みんなにも心配、かけて……」
「全然っスよ!うちのメンバーが個人主義なのなんて、別に今に始まったことじゃないし。明日叶センパイだけじゃなくて、桐生さんも藤ヶ谷さんも、ほとんど姿見かけないっスもん」
「慧は…いつものジム、かな。桐生さんは…そうだな、部屋でパソコン触ってそうだな」

幾分和らいだ声に、嘘を吐いた罪悪感はキレイに消える。
こんなことくらい、なんでもない。

「亮一さんは?眞鳥さんや興さんは、どうしてる?ヒロは?」
コポコポとマグカップにお湯を注ぎながら、明日叶センパイが次々と尋ねてくる。
オレはそのひとつひとつに確実に、注意深く“正確な”答えを返してゆく。
「眞鳥さんと興さんはいつもどーり。あ、この間、興さんが眞鳥さんにマッサージしてもらってた!あの図はキョーレツだったっスね〜」
くすくすと、小さな笑い声が零れる。よし、―――この調子。
「亮兄は、あー…なんか、難しい顔してレポート書いてたっス。しゃーねーっスけど、こういう時、リーダーって大変っスよねぇ」
僅かに明日叶センパイの身体がこわばるが、気付かないフリをする。
この辺までは、本当のことを織り交ぜておいた方がいい。

真実を見抜くというトゥルーアイズの持ち主相手に、ここまで手際良く嘘を吐き続けられる自分は、もしかしたら案外、そういう才能も持ち合わせているのかもしれない、なんて考える。そう、あの人の―――誰にも何も言わず姿を消した、あの人の、特技。

そう思いかけて、唇を噛んだ。

違う。オレは兄貴じゃない。
オレは、必死なだけだ。滑稽なくらい、必死なだけだ。
オレにあの人の代わりなんて、カケラも出来るはずがない。
そんなの、オレが一番分かってる。











気が付くと、お湯を注ぐ音が止んでいた。
怪訝に思って明日叶センパイの背を見詰めるが、サイドテーブルに手をついたまま、その身体は微動だにしない。
「センパイ…?」
腰を下ろしていたベッドから立ち上がって、背後から顔を覗き込む。
と、ふいと避けるように逸らされた。
「ちょ、センパイ?」
無意識に、思わずその手をとる。

―――が。

「……っ」
びくっと、触れた指が跳ねた。
掴んだ手首のあまりの頼りなさに、思わず言葉が詰まる。
「セ、ンパイ」
ようやく絞り出した声は、不自然に途切れた。

相変わらずこちらを見ようとしない、白い頬。
酷くくっきりとラインを見せる喉元。
伏せた睫毛が落とすにしては濃すぎる、目元の影。

ふと、ラウンジでの会話が脳裏に蘇った。
毎日三食、簡単なものを食堂で作ってもらって部屋の前に置いてる』
亮兄はそう言ってなかったか?
なのに何故。


何故この部屋には、食べ物の匂いが少しもしない?


部屋に入ったときの、不思議な違和感がカチリと符号する。
思わずカッと頭に血が上って叫んだ。

「センパイ!ちゃんと食べてるっスか!?」

―――ヤバい。
声を荒げて、すぐに我に返った。
もう、こうなったらバカなキャラは一旦お預けだ。
正直、こんなに酷いなんて思ってなかった。想定外だ。
何がなんでも、宥めすかしてでも泣き落としてでも、どうにかして何か口にさせないといけない。優しく、諭すように言い直した。

「……ね、センパイ。ほら、オレのおススメ、色々買って来たんス。いーっぱいあるから、一緒に食べましょ?」
ほら、と両手に持った袋を広げて見せる。
ふわり、とまだ温かいのだろう、カレーの食欲をそそる匂いが立ち上った。
がさがさと中を探ると、太陽は包みを一つ取り出す。
「センパイの好きなヤツもあるっスから。ねっ」
素朴で、香ばしい匂いも鼻孔をくすぐる。




と、それまで動かなかった明日叶センパイの表情が、さっと変わった。
同時に、上半身がぐっと前のめりになる。
「センパイ?」
「……っだ、大丈……」
無理やり正面に回りこんで顔を覗き込むと、両目一杯に涙を貯めた明日叶センパイが苦しげに眉を顰めていた。
ひくっ、ひくっと身体ごと喉を引き攣らせては、何度も何度も唾を飲み込む。
「ご、め……、……っ」
途切れ途切れにそう訴えると、口に手を当ててくるりと背を向けた。
その肩が小刻みに震えている。
袋を躊躇い無く放り捨てると、オレはその身体を抱きかかえるようにして洗面所へ駆け込んだ。















腕の中で、忙しない息が繰り返される。
時折零れる小さな咳が、浴槽の壁に跳ねて寂しげに響く。
背丈はそれほど変わらないはずなのに、ずっと小さくなってしまったように感じるその身体を、きつすぎない程度に、けれどたまらない気持ちで抱き寄せた。

自分の中に燻り続けるこの熱は、切なさは、永遠に彼には届かない。
この腕の中にいる人は、自分ではない誰かを求めている。
オレには、本当に何も、してやれない。
こんなに近くにいるのに。こんなに、傍にいるのに。
こんなに―――好きなのに。



記憶にある、広い背中が蘇る。
ずっと憧れていた。ずっと、その背を追いかけていた。
いつか、あんな男になりたいと。―――でも。
(許せないっス、………兄貴)
何があったのかは知らない。
オレなんかには、関係の無い話だと言われればそれまでだ。
そんなの、分かっているけれど。
やり場の無い怒りと悲しみが、身の内から醜く溢れてしまうのを止められない。

二人が幸せそうに笑うのを見ているのが、幸せだった。
引き攣れるような痛みは、いつしか綺麗にやり過ごせるようになっていた。
二人だから、優しい気持ちで諦められた。それなのに。


震える肩を、強く抱き締める。
いや、震えているのは自分なのかもしれない。だから自分ごと、抱き締めてやる。
気づかなくていい。身代りにすらなれないことも知っている。
けれど、せめて今、この瞬間だけでも、この人を支えられたら。
オレは―――







「……離してくれないか、太陽」
ぽつり、と零れ落ちるように明日叶センパイが呟いた。
空っぽな声の中に、もう枯れ尽くした感情の残滓が微かにちらついて、胸を突く。
「ごめんな」
力なんて全然入っていないのに、その手がオレの腕を簡単に解いてしまう。
わずかに残されたぬくもりが確実に失われていく感覚に、歯を食いしばって耐えた。

「ごめんな、太陽」
もう一度そう言うと、そっと視線を上げて、明日叶センパイが微笑んだ。
その目は皮肉なことに、初めて出会った時、オレをまっすぐに射抜いたのと同じ、透明な光を放っていて。
そのキレイな笑顔に射竦められたように、ただ見詰め返すことしか出来ない。
「これ、ありがとう。でも……ごめんな」
手渡された袋と共に、そっと背を押される。
ぱたん、と静かに扉が閉まるその瞬間、囁くほどの声が聞こえた気がした。

「ありがとう」だったのか、「さようなら」だったのか。
今のオレには、もうその言葉の本当の形を知ることすら出来ない。



オレが知る、本当の明日叶センパイの姿を見たのは、それが最後になった。


























「……あ、亮兄」

見慣れた顔を見つけて、思わず声をあげた。
周囲より頭一つ飛びぬけた長身が、こちらに気付いて片手を上げる。
一緒にいた数名に何か言い置いて、こちらへ歩いてきた。
その横には、もう一人。

「中川さんも」
「ずいぶんご無沙汰ですねぇ、わんこ」
長い髪を揺らして、にっこりと笑いかけてくる。
その少し斜に構えたような、掴み所の無い話し方は以前と変わらない。
「そっスね」
ふと笑って太陽が同意すると、亮一も頷いた。
「学年が違うとは言え、こんなに長い間顔を見ないのは久し振りだな」
元気だったか?と穏やかに微笑むその仕草も、本当に変わらない。
変わらなく、見える。けれど。

三人とも、亮一が無意識に避けた言葉の欠片に気付きながら、見ないふりをした。
『学年が違うだけで』
違う。そうじゃなくて。
それでも、その違和感を無視しながら会話は進む。
もう、慣れた感覚だ。


「実は、ちょーっと外国行ってたんス。これ取るのに」
太陽は、胸ポケットからひらりと一枚のカードを出して見せた。
「へぇ。すごいじゃないですか、わんこ」
まじまじと見ながら珍しく真面目に目を見張った眞鳥が、感心したように言う。
「頑張ってるんですねぇ」
親しげではあるもののどこか他人行儀な言葉に、分かっていても胸が痛い。

「亮兄と中川さんは?」
そんな感傷を軽く振り払うように、太陽は明るく尋ねた。
はぁ、と大げさに溜息をついた亮一が苦笑する。
「受験生の悲しさだよ。毎日毎日、決まりきった模範解答との格闘さ」
「亮一くんは一問一答式の問題、苦手ですもんねぇ」
くすくすと笑いながら、眞鳥がからかう。
「だってさ、情報を画一な一単語で覚えて何になるんだい?本当の知識というのは、
自分の口で、自分の言葉で説明出来て初めて、そう呼べるものだろう?」
「は〜いはい。ま、オレは単語で済むならそっちのが楽でいいですけどねぇ」
レポートなんか面倒で、と空を仰いだ眞鳥が、おやおやと眉を上げる。

「そろそろ昼休みも終わりですかねぇ」
「うわっ、本当だ」
腕時計に目を落とした亮一が、途端に慌てだす。
「今日の午後は、グラウンドで実技演習だったよな!?」
「ええ確か。早く行かないと、まぁた目ぇ付けられちゃいますねぇ」
どこ吹く風とのんびり言う同級生の腕を引っ張り、亮一が笑った。
「じゃあな、太陽。俺たちも行かなきゃ。お前も頑張れよ」
「うっス。またね、亮兄。中川さん」
目元だけで静かに笑うと、太陽は踵を返した。
その歩みにはもう、二人が知っていた頃のあどけない軽やかさは、ない。
遠ざかっていくのは落ち着いた、しっかりと地に着いた確かな足音だけ。





後ろ姿を見送りながら、眞鳥がぽつりと呟いた。
「……すっかり大人になっちゃいましたねぇ」
相変わらず飄々とした口調がつまらなさそうに、そしてどこか寂しそうに響く。
「仕方ないさ。あいつも、男だから」
「おや、映画のようなセリフじゃありませんか」
「茶化すなよ」
互いの軽口に、少しだけ感傷が混じる。
過去を懐かしんでも、あの頃の時間はもう、決して戻らない。
あの頃の自分達も。確かに築き始めていた、絆さえも。


「せめて、元気でいてくれればいいですねぇ」
中空を見つめながら、穏やかに眞鳥が言う。
誰が、とも問うことなく、亮一も頷いた。
こうして自分達は、もうこんなにも優しい気持ちであの頃のことを語ることが出来る。
少しの胸の痛みは、見逃すとしても。
時の流れは、恐ろしく残酷で、悲しいほど優しい。

「そうだな、いつか」
それぞれの道を歩んでいったその先で。
もしかしたら再び出会うこともあるかもしれない。
二度と会えないかもしれない、その確率と同じだけ、可能性は在る。
その時、自分達はまた笑えるだろうか。


そして、彼らは。



澄んだ目の色を思い出すと、今でも胸が締め付けられる。
初めて仲間として受け入れた時よりも、もっと、ずっと透明で穢れを知らない瞳を、あれから遠目に見かけるたびに息が詰まった。
それは、誰もが同じだったらしい。
あの後、彼の下した決断を事後に知らされた旧メンバーの中で、最初に自分の目で“新しい彼”を見かけたのは誰だったか。
どれほど広いとは言え、同じ敷地内だ。会わずに居る方が難しい。
多分、いや、恐らく全員が、何らかの形で彼を見かけていたはず。
彼を―――新しい人生を歩むと決めた、彼のことを。

けれど、そのことについて口にした者は一人もいなかった。亮一も、眞鳥も然りだ。
誰もが一様に口を噤んだ。あの、藤ヶ谷でさえも。
最初から、“小林明日叶”という人間など、この学園に存在しなかったかのように。
弱いと、卑怯者だと罵られても構わなかった。
だって、そうしないと遣り切れない。堪えられる自信が無かった。
それくらいには出来上がってしまっていたのだ。自分達の絆は。


時折、自分達とは違う世界の友人たちと談笑する姿を見かけた。
とても楽そうに呼吸をする彼を見て、本人にとってはあながち悪い選択ではなかったのだと、自らを宥めるよう心掛けた。そう、彼が楽に生きていけるのであれば。
けれど、その瞳を向けられるべき人間が、己であったならと。
あの無垢な表情を、しごく単純な疑問符と共に向けられたとしたら。
それが愛した相手であれば尚更、その苦しみはいかばかりだろうかと。
恐ろしさに震える気持ちは、深い安堵と哀れみを誘い、自己嫌悪へと連鎖した。

そして、その恐怖に背中を向けた自分達とは対照的に、今でもその姿を、遠くからではあるものの、しっかりと正視し穏やかに見守り続ける後輩の姿は、眩しくて仕方なかった。
その名が示す通りに。
たとえ光を与えられている側が、その存在に気付かなくても。
誰よりも一足飛びに大人になったその瞳は、いつもその姿を優しく見守っている。

天真爛漫で無邪気で幼かった後輩は、傷だらけの心を庇うことも癒すこともせず、たった一人のために、たった数ヶ月分の想いのためだけに、血を流し続けることを選んだのだ。
―――いつか必ず、本当に彼を任せられる者が帰ってくるまで、ずっと。
人知れず、静かに。誰に誇るでも無く、見返りを求めるのでもなく。
決して自分の方を振り向かない、交じり合うことのない道を歩む人のために。
それはもう、恋なんて砂糖菓子のような甘やかなものではなくて。
大人ぶって説教したり、のらりくらりと交わしてみたり、目を逸らしたり。
そんな自分達には想像も出来ないほど、深く暗く、けれど絶対的に強い光。

人はそれを、愛と呼ぶのではないか。






春の訪れにはまだ少し早い、けれどどこか優しさを孕んだ風が、二人の髪を揺すった。
「そういえば」
遠くで鳴り始めた本鈴に、今度こそ足を速める亮一に、のんびりと眞鳥が世間話を始める。
「眞鳥、とりあえず走れ!」
「いやですねぇ、ちゃんと急いでるじゃないですかぁ。ちょっと、聞いてくださいよ」
「仕方ないな、なんだい?」
「最近ね、不思議なことにムッシューが……」


一際強く吹いた風が、その声を攫った。










もうすぐまた、春が来る。

















◆あとがき◆

はい!念願のED7その後編でした!や、やっと書けた……!!orz
予告通りディオ明日ではなく、太陽や他メンバーからの視点でのお話でした。
前半部分では初の一人称に挑戦。思ったより書きやすかった。けど、慣れない。
うぅ、長い割に上手く表現しきれてない部分が多々あって歯痒いのですが…(-△-;)
悲恋な本人達の裏で、こんなサイドストーリーがあったかもしれないなー、と。
パラレル感覚で読んでいただけると幸いです。
…アップ後、あまりに居た堪れなくなったら修正もしくは撤収するかもしれません(汗)

以下、ちょっと暑苦しく語っちゃってるんで反転します(笑)
実は雪織自身はこのED,美味しいとは思うけどちょっと許せなかったりします。
辛いのは分かるんだけどさ、それ言ったら他の仲間はどうなるんだよって言いたくなる。
一途な明日叶ちんは大好きだけど、ちょっとこの一途さは違うだろうと。
本文中で太陽が「本当に辛いのは誰だ。それを履き違えるな、オレ」って言うとこがありますが、
それはまんま雪織の意見です。記憶無くして楽になるくらいなら、慧ルートBAD EDなんかの
「いつかまた出会いたいから」と未来に向けて走る姿の方が好感持てる。
逃げるのは好きじゃありません。明日叶ちんは、そんな弱い子じゃないもの!(>△<)
まぁね、その後ディオがばーん!と登場して…のくだりは何回見ても号泣ものなんですけどね。
いつか記憶が戻ればいいと願う中には、ディオのことだけじゃなくて、一緒にいた他の仲間たち
のことも思い出してやってほしいということも含まれてます。

これでも太明日ラヴァーかと問われそうだが、是と答えるしかない。
いかなる状況下でも太明日精神を忘れない、これぞ愛。(何)


2010.6.7 up







×ブラウザを閉じてお戻りください×