「うぅ……知らなかった。センパイって結構、スパ、スパ、えーと」
「スパルタか?」
「そう、それ!スパルタなんスね……」
開いた問題集に突っ伏して、太陽が、今日何度目かの深い溜息を吐いた。
明日叶は思わず緩んでしまいそうになる表情筋を律して、わざと真面目な顔で太陽を睨んだ。
「こーら、太陽。まだ半分も進んでないだろ。休憩はこれ解いたあと」
「うぅ、厳しい……」
眉を下げて泣きそうな顔で見上げてくる頭を、手の甲でこつん、と軽く叩いて明日叶は微笑んだ。
「太陽から頼んで来たんだろ?明日のテスト、ヤバいからって。ここさえ押さえておけば、多分大丈夫だから。もう少し、頑張れ」
「うぇーぃ」
渋々ながらもペンを握り直す。こういうところが、素直で、可愛いと思う。




「頼んます!もう無理っス!」と、独学での対策を諦めた太陽に泣きつかれたのが三日前。
幸いその科目というのが、この学園で唯一、明日叶にもついていけている英語だったため、快く教師役を(といっても、そんなハイレベルなことは教えられないのだが)引き受けた。
ミッション時、いつも複雑な経路を一瞬で把握出来てしまう記憶力を持ちながら、どうしてこんなに簡単な単語を覚えられないのか。太陽曰く、「あれはイメージっす!」とのことだが、明日叶にはどうにも首を捻るしかなかった。
太陽の英語嫌いは、第一段階の「単語の暗記」によるものだと、明日叶は思う。




隣でぶつぶつ言いながら問題との格闘を再開した太陽に、そっと目元を和ませると、明日叶は席を立った。
「冷たい飲み物でも買ってくるよ。何がいい?」
「やった!えっと、炭酸系がいいなぁ。頭、スカッとしそうだから」
「了解」
歩き出して、あ、と振り返る。
「その問題集終わったら、次は俺が用意したやつやるから。頑張ろうな」
嬉しそうな表情から一転、なんとも言えない顔になった太陽に、明日叶は今度こそ声を上げて笑いながら教室を出た。
「せ、センパイの、意地悪〜〜〜〜〜!!」
背中で聞こえる力無い反論に、ひらりと後ろ手を振った。












その翌日。

「悪ぃ、明日叶。辞書貸して」
隣の席から、ディオの小さな声が聞こえた。
「ん」
ノートに目を落としたまま、手元にあった英和辞書を手渡してやる。
黒板の前では、流暢な英語を話す教師の、流れるような講義が続いている。
ポイントを聞き逃すまいと、明日叶はひたすらペンを走らせていた。
「サンキュ」
手のひらが軽くなったかと思うと、パラパラとページを捲る音が聞こえてくる。
区切りの良いところまで書き終わると、明日叶はそっと横を窺って囁いた。
そんな私語をしていられるのも、唯一、まともについていけている英語の講義くらいだ。

「珍しいな、辞書使うなんて。ディオなら必要ないんじゃないのか」
長い指先を一瞬止めて、顔を上げたディオが肩を竦める。
「お前には言われたくねーよ、ガッティーノ。このアメリカ帰りが。俺の母国語は、あくまでもイタリアーノなんだよ」
だから逆に、似てる単語なんかだとスペリングがごっちゃになんだよな。
面倒くさそうな声に、トリリンガル(ディオは日本語やイタリア語はもちろん、英語もかなり堪能だ)ってのも大変なんだな、と明日叶が納得したその時だった。


「………っく」
喉の奥で何かが潰れたような、籠もった低い音が隣から聞こえた。
それが、ディオが堪えた笑い声だと気付くのに、そんなに時間は掛からなかった。
「どうかしましたか?ミスタ・ロッティ」
机と机の合間を縫うように歩きながら話していた教師が、怪訝そうに尋ねてくる。
その問いに、なんでもありません、と軽く頭を下げると、ディオは何事もなかったかのように教科書を目で追い出した。
再び、流れるように授業は進む。
だが、横にいた明日叶には、閉じた辞書に挟んだ長い指が、ぷるぷると震えているのがしっかりと見えていた。
(なにがそんなにツボだったんだろう)
首を傾げると、後で聞いてみよう、と明日叶も意識を戻す。
けれど、そんな明日叶の様子を確認するや否や、ディオの肩の揺れはますます酷くなっていって。
(一体、なんなんだ)
好奇心と、―――なぜかとっても嫌な予感もして、明日叶は早く授業が終わらないだろうかと思った。







「明日叶っ………お前、俺を殺す気かよ………っ!!」
授業終了のチャイムが鳴り、教師がドアをくぐって姿を消した途端。
ディオががばりと突っ伏して叫んだ。
開いた手のひらで、バンバンと机を叩く。
「な、なんだよディオ。何がそんなに」
「………っ!」
クールでニヒルな彼にしては珍しく、ひーひーと笑い転げながら、もはや声にもならないのか、仕草だけで手元を示す。
そこには、先ほど明日叶が貸した辞書。
授業中から、差し込まれたままになっていたディオの長い人差し指が、とあるページをばさりと開いた。
そこは「L」の欄。

――――きっかり5秒間、微動だにせず見入って、明日叶は飛び上がった。

立ち上がりざま、両手で辞書を思い切り閉じる。
指を挟まれたディオが「いって!」と叫んだが、気にせず奪い取る。
「こ、ここ、これは、俺は」
「お前ら、中学生かっての!」
自分で言っておきながら、また噴き出す。
遠慮なく爆笑するディオの様子に、さすがに怪訝に思ったのか慧までがやってきた。
「………どうかしたのか、明日叶」
「なん、なんでもな」
「藤ヶ谷っ……!お前、たとえ辞書忘れても、んでもってどーしても必要な時が来ても、こいつのだけは借りねー方がいいぜ…っ?くっくっ……そんくらいなら、俺のを貸してやるから……ぶはっ」
犬猿の仲のディオからそんな親切な申し出までされて、ますます不可解な顔つきになる慧。
「……一体どうし」
「なんでもないっ!!!」

涙を流すディオと、完全に困惑気味な慧をその場に残して、明日叶は教室を飛び出した。多分、ちょうど試験が終わった頃だろう、1年の教室に向けて。

一言、叱り付けてやらなきゃ、収まらない。




脳裏に、単語を囲ったいびつなハートマークの数々が踊った。









                        言ノ端七題  「4.ささやかな仕返し」








◆あとがき◆

太陽BD記念週間、4日目です。
辞書に落書きとかしませんでしたか、学生時代。太陽はやると思います。
ベタにあの単語とか、あの単語とか、まるっと囲んじゃうと思います。
赤ペンで。そんでもって多分、似顔絵付きとかで(笑)
ちなみにディオの「逆に、似てる単語だと〜」のセリフは、雪織の友人の実話です。
その代わり、同じラテン語発祥の言語なら、全く習ったことなくてもある程度は意味が
理解出来るとか。「か、かっこええ…!」と心底痺れたので、拝借しました…vv


お題配布元「ヒソカ」様

2010.6.24 up







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