(なんでこんなことに) 背中に嫌な汗をかきながらも、何度か叱られて懲りた明日叶は、言われた通り、じっと身体を硬直させたまま大人しく座っていた。 その間も、顎に掛かった細い指が、くいくいと忙しなく顔の角度を変えていく。 目にもとまらぬスピードで肌を滑る、見たことのない様々な種類の筆。 鏡の中で、みるみる変化を遂げていく自分の顔に、明日叶は茫然と、ある意味感動を以て見入っていた。 「さ、でーきたっと♪」 最後にぱさり、と頭に重みを感じたかと思うと、ヒロの心底満足そうな声が聞こえた。 立ったまま、後ろから明日叶の両肩に手を掛けると、鏡越しにニッと笑う。 「明日叶ちん、最っっ高!んもう、美女すぎる!!」 よく分からない褒め言葉に困惑しながら、明日叶は改めて正面の鏡台を覗き込んだ。 そこには、うっすらと化粧を施した、長い黒髪の少女(――悔しいが、そう認めざるを得ない)が、顔を引き攣らせたまま映っていた。 「ヒロ………」 がっくりと肩を落とした明日叶に、不服そうにヒロが口を尖らせる。 「なぁに明日叶ちん?こんなに可愛いのに、なにか不満?」 「いや、不満とか、そういうんじゃなくて……」 ツッコミ場所のズレに思わず訂正を入れようとしたのだが、ヒロは一転してまた笑顔に戻り、キラキラと目を輝かせて明日叶を見つめた。 「こんっな美少女!滅多にいないよ〜〜♪ボクのメイクの腕も当然だけど、これってやっぱり素材も大切だよねぇ」 言いながら、くるくると明日叶の周囲を動き回っては、櫛を通したり粉を叩いたり。 なんだかよく分からないけれど、ものすごく楽しそうなヒロの様子に反論する機会を逸した明日叶は、されるがままの状態で、本日十数回目の溜息を吐いた。 ―――と。 「準備出来たか?」 がちゃりとドアノブの回る音がして、長身の姿が現れる。 早速マズい奴に見られた、と明日叶が頭を抱える。 今回のこのイベントを、多分一番(ヒロを除けば)面白がっていたのがこの男だ。 普段からそのよく回る口で、明日叶をからかっては好き勝手翻弄する同級生。 この奇天烈な格好も、それはもう盛大に揶揄されるだろうと覚悟を決め、恐る恐る視線を上げる―――と、鏡越しにこちらを見つめる瞳が、驚愕に見開かれたまま固まっているのが見えた。 「…………ディオ?」 軽口も叩かず絶句するその珍しい姿に、こちらの方が呆気にとられ、明日叶は恥ずかしさも忘れて、きょとんと尋ねた。 「……おい、どうしたんだよ」 きっかり5秒はそのままだったと思う。 ディオの金縛りは、ヒロの得意げな高笑いでようやく解けた。 「ふっふ〜ん♪ディオですら気の利いたセリフが出ないとはねー。グッジョブ、ボク☆」 自画自賛するヒロに、いつもの余裕ある笑みを取り戻したディオが、軽く顎をしゃくる。 「ほーら、ヒロ。ここからは俺の仕事だぜ?交代交代」 「えー!?」 「えー、じゃないだろ。そういう約束だろうが」 ぎゃーぎゃーと文句を並べるヒロを軽くいなして退室させると(ちなみにここはヒロの私室だ)、ディオは改めて明日叶を上から下へ、まじまじと眺めた。 「ガッティーノ、お前、」 「……なんだよ」 ―――からかわれる。 嫌な予感がして、応える声も思わず低くなる。 だが、思いがけずディオは真顔のまま、素直な讃辞を口にした。 「お前、本当に綺麗だぜ?」 詐欺師と呼ばれる男にしてはシンプルすぎる言葉に、思わず噴き出してしまった。 「ありがとう?っていうべきなのか、これ」 負けた自分が悪いのだと分かってはいても、なんとも恥ずかしいこの罰ゲームに正直うんざりしていた気分も、今笑ったことで払拭されてしまう。 つられたように、ディオも苦笑した。 「俺もまだまだ修行が足りねーな。お前に突っ込まれるなんて」 笑いながら、けれど、どこか本気で悔しそうな色を滲ませた声が、もう一度椅子に座るよう明日叶を促す。 大人しくそれに従うと、ひらひらした衣装の裾を指先で摘んで、明日叶は困惑したような表情を浮かべた。 「それにしても、俺が女の子の格好したところで、何か面白いのか?」 ヒロに着せられたそれは、浴衣のような薄手の生地を何枚も重ねたもので、和服と同じように帯で留める形になっていた。まさに今日のこの日、七夕の夜に相応しいといえばこれ以上のものはない、そんな衣装。 ディオはそんなぼやきを聞いて、明日叶には分からないように背後で小さく笑った。 『はい、明日叶ちんの負け〜〜♪』 事の発端は、昨夜の夕食後だった。 なんとはなしにラウンジで寛いでいると、ヒロと亮一さんからカードゲームに誘われた。 宿題も予習も終わっていたし、手持無沙汰だったから、快く参加させてもらったのだが、ヒロがふざけて「んじゃあ負けた人は、明日一日“織姫”役ね〜」と言ったところからおかしくなった、……んだと思う。 『織姫役?何ですか、そりゃ』 面白そうに眉をあげた眞鳥さんが、読んでいた本をぱたりと閉じた。 『明日って七夕じゃん♪織姫が願い事叶えてくれる日でしょ?』 『ヒロ、それはちょっと違うな。そもそも七夕における織姫と牽牛の関係性というのは…』 正しい由来を語り始めようとする亮一さんを完全に無視して、ヒロが尚も言い募る。 『だからぁ、一番負けた人が織姫になるの♪そんでもって、勝った人たちのお願いごとを叶えてくれるの。どう?』 『まんま、王様ゲームじゃねぇか』 呆れたように言いつつ、ディオが椅子ごと移動してくる。 『なんですか、じゃあその“織姫”は当然、か〜わいい女の子の格好をしてくれるんでしょうねぇ』 意味ありげに眞鳥さんがにっこりと笑うと、普段ならこんなことに全く興味を示さない慧までが、無言のままテーブルに近寄ってきて札を取った。 『もっちろん♪そこら辺は、ボクに任せてもらえれば』 『んじゃ、仕上げは俺がやる』 『何、ディオ、なんか出来んの?』 『髪は俺がやる。お前がやると、ゴテゴテ飾りすぎて、清楚って感じにゃならねー気がするからな』 『ひっどーい!』 『織姫っつったら和装の大和撫子、清楚なイメージだろうが』 『元々の伝説は、中国産だがな』 言い合いながらも、なぜかみんな妙にノリが良くて。 いつもなら絶対に輪に加わらないだろう桐生さんや興さんまで次々と集まってきて、とうとうグリフ全員集合のゲーム大会になった。 今思えば、あの気まぐれな人たちが、積極的にゲームに参加しだした時点で気付くべきだった。―――どう考えても、最初から負け戦だったということに。 「何言ってんだ。お前以上に、似合うやつなんかいないぜ?きっと」 人工の髪に触れた長い指が、驚くほど器用に動き出す。 華奢な三つ編みが次々と生まれ、ディオは指の数ほどのそれらを左右合わせてまとめると、黒いピンで見えないように頭頂部に留めた。 「すっげー、目の保養」 「………っ、おいっ……!」 急に低く甘くなった声でそう囁くと、こめかみに唇を寄せられて、思わず身を捩る。 ウィッグが被らない、ちょうど地肌ギリギリの部分に吐息が掛かって、首筋に微かな震えが走った。 「何するんだ!」 悪ふざけが過ぎると立ち上がろうとしたところを、思い切り腕を引かれる。 「……お、い……ディ…っオ…!」 均整の取れた筋肉質な身体に抱きこまれて、微動だに出来ない。 何故か顔に熱が上がって、明日叶はそれを誤魔化すように抵抗した。 「やめ、ろって……!苦しいだろ……っ」 「悪い悪い。お前があんまり可憐で可愛いから、つい、な」 ウィンク付きの意地悪な笑みに、明日叶はもう一度その胸をどんと叩いた。 「バカ、俺は男だぞ」 くそ、なんだっていうんだ。 やけに跳ねる鼓動を宥めすかして、明日叶は衣服を整えた。 「そろそろ、行かなきゃ。………行かないと、ダメ、だよな……」 自分で言っておきながら、また憂鬱になってくる。 今夜もまた、グリフの面々はラウンジに集合しているはず。 明日叶のこの罰ゲームを、嬉々として見届けるために。 負けたのは自分だし、いつもお世話になってるみんなに喜ばれるなら、自分に出来る範囲で叶えてあげたいと思う。―――けれど、やっぱりこの格好は。 「は、恥ずかしい………」 改めて頭を抱えた明日叶を、ディオが軽く笑い飛ばした。 「だーいじょうぶだって。お前、そのまま潜入捜査も行ける出来だぜ?俺とヒロが保障してやる。堂々と行け。なまじ恥ずかしがると、奴らの思うツボだ」 その言葉にちょっとだけ勇気づけられて、明日叶は意を決して頷いた。 「分かった」 少しだけ長く引く裾を、踏まないように気遣いながらドアへ向かう。 「そういえば、みんなの願いごとって、なんなんだろう」 参加者の願い事は、これから一人ずつ、聞いて回る予定だ。 それを一つずつ、叶えてあげる。それが明日叶に課せられた罰ゲーム。 ―――けれどこの格好はともかく、あの個性的なメンバーそれぞれが何を求めているのか、それを教えてもらえるのは、何だか少しだけ楽しみで気分が弾む。 「どーせ『甘味屋巡りに付き合え』とか『宿題手伝え』とか、その程度だろ」 妙に依頼主が限定される例えに、明日叶の顔も綻んだ。 「なるほど、そっか。それくらいなら、全然」 「……っていうか、それ以上は俺がさせるわけねーし」 「ん?なんか言ったか?」 「いーや?なんも」 いつもの余裕の笑みを浮かべたまま、紳士的な(どこか芝居がかった)仕草でにドアを開けてやった。 さらり、とすっかり長くなった髪を揺らして、和服の美少女(多少上背はあるが)がいそいそとラウンジへ向かう。 ちらりと見えた横顔は、こんな格好をさせられた羞恥心のためか、ほんのりと淡く染まり。 元々長い睫毛をより強調させたその中に、伏し目がちにけぶる紫水晶の瞳は、ぞくりとするほど美しかった。 後ろを歩きながら、ディオは獰猛に笑む。 「牽牛ポジションは、そう簡単にゃ譲らねーぜ?」 一足先で開いた扉の中から、異口同音の歓声が上がった。 |
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◆あとがき◆ なんともオチもヤマも無い話になっちゃいました。だから何だって話ですよ…orz ええそうです、単に織姫コスした明日叶ちんが書きたかっただけです(笑)七夕ネタでしたvv 誰CPでもないけど、ディオ→明日叶、んでもって明日叶→ディオ?(無自覚)設定。 ディオが髪結い上手いのは、妹さんがいるから。 一緒に住んでた頃は、毎朝ねだられて結んであげてるといい…!(という勝手な妄想) ディオが絶句したのは、明日叶ちんの女装姿があまりに"エキゾチック"な"美人”だったため。 むふふふふvv VFBの情報、いただきましったー♪ ちなみに、某会社のリサーチによると、織姫と牽牛の関係性を「恋人」だと誤解してる人は 約8割に上るそうですよ。星座伝説好きには衝撃の事実…! 2010.7.7 up |
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