夏に風邪をひくのはナントカだ。
昔からそう言うが、それは本当のことかもしれない。


ぼうっと天井を見つめながら、明日叶は回らない頭でぼんやりとそう思った。
視界に入る家具たちがぐらぐらと傾いでいたのは、先ほど飲んだ薬のおかげで何とか治まってくれた。それだけで、だいぶ楽になる。
けれどその代わり、今はひどく喉が渇いていた。
ただでさえひりつくそこを意識しながら唾を飲み下すと、案の定、予想通りの痛みが首全体を痺れさせて。
明日叶はぎゅっと背を丸めると、掠れた咳に全身を力なく震わせた。

そのまま、また意識が溶けていく。
こうして眠ってさえいれば、じきに治る。
そう分かっているから、大人しく目を閉じた。


視界が完全に暗くなる寸前、いつもは手元に置いておく携帯電話が、遠くの床の上で微かに光った気がしする。
それに気付かない振りをすると、明日叶は油断するとすぐに忍び込んでくる我侭な欲求から自ら目を逸らすように、もぞもぞと布団の中に潜り込んだ。
























「明日叶センパイっ!」

どれくらい眠っていたのか。時間の感覚が全く、無い。
叫ぶ声とドアが勢い余って壁に叩き付けられる音に驚いて、覚醒した。
反射的に起き上がりかけた身体が、まだ無理だと途方に暮れたように、立てた肘から力なく崩れていく。

「あああ!だ、ダメっスよ、急に起き上がっちゃ…!」
駆け込んできたその声の主が、そんな荒っぽい動作とは真逆の繊細さで、明日叶の腰をすくい、静かにベッドに横たえる。
思わず息を吐いたその途端、またしても嫌な音が肺の中を響音させた。
咄嗟に横にした背中を、慌てたように大きな手が擦ってくれる。
生理的な涙の滲んだ視線の先に、思い切り眉根を寄せた表情が映った。
「大丈夫っスか、センパイ?」
「…?おまえ、なん、で」
「黙って」
忙しなく動く手と、穏やかだけど有無を言わせない口調に、明日叶は疑問符を飲み込んだ。
「……めん、太陽」
絞り出した声がカサカサに乾いていることに気付いて、太陽はようやく思い出したように、手に持ったコンビニの袋からペットボトルを取り出した。
蓋を開けて、一瞬逡巡して、自分の口に含もうとして、やっぱり止めて。
太陽は、くるりと部屋の中を見回すと、「センパイ、勝手にごめんね」と一言断ると、慣れた様子で壁際の引き出しを開け、小さなハンカチを取り出した。

(よく、覚えてる)

ここでいつも、明日叶が身支度する様子を見ているせいだろう。
ふと、こんな時なのに笑みが零れる。
身体が弱っているときに、他人に傍にいられるのは、正直辛い。
なのに、この空間に驚くほど自然に溶け込んでいる太陽の姿が、たまらなく嬉しい。どうしようもなく幸せで、やるせなくなるほど温かい。
自分の中での、彼の立ち位置を再確認して、どうしてかひどく安心する。




取り留めなくそんなことを考えていると、濡れた感触が唇に触れるのと一緒に、ベッドのスプリングがきし、と音を立てた。
鳶色の大きな瞳が、明日叶の顔を覗き込む。
「はい、センパイ」
薄く開いた口元にそっと差し入れられた布の先端を、素直に小さく吸った。
まるで、親鳥から餌を与えられる雛のように。
たっぷり浸されたスポーツドリンクは、そんな些細な求めにも簡単に滴って、優しく喉を癒してくれる。
ちゅ、と物欲しげな音が立つと、心得たと言わんばかりに、太陽は何度も何度もハンカチを濡らしては明日叶の唇に運んだ。


ようやく気が済むと、その様子を見て取ったのか、太陽の影が一度離れた。
ふと視界に天井の白が戻ってくる。
目覚めるまではそれが普通だったのに、なぜかそれが唐突に苦しくなって、立ち上がりかけた太陽の袖に指を伸ばしてしまった。
「………っ、」
「センパイ?」
一瞬驚いたような声がしたかと思うと、すぐに優しい指が湿った前髪を掻きあげて、そのまま髪を梳いた。思わずその手のひらに頬を擦り付けてしまい、明日叶は羞恥と自己嫌悪がごちゃ混ぜになった感情に、一瞬混乱する。
伸ばした指も、反射的に引っ込めた。

「ん。ほんのちょっとだけ、待ってて」
そう言うと、宥めるように頭を撫でる手はそのままに、太陽は片手で何かをぺりぺり剥がすと、明日叶の額にぴたりと貼り付けた。
計算された冷たさが気持ちよすぎて、意識せず声が漏れた。
「……ぁ………、きもち、い………」
解熱シートの貼られたところから、全身を覆っている温かな澱みが、吸い出されていくような感覚がする。そうなって初めて、明日叶は(ああ、熱も出てたのか)と思い当たった。

―――と、一瞬、何か飲み下すような音が聞こえた気がしたが、すぐに頬に下りてきたキスに気をとられ、忘れてしまう。

「もう少し、寝た方がいいっスよ」
いつもより少しだけ低くて、静かな声が降ってきた。
「お説教は、そのあと。オレ、こう見えて結構怒ってるんスからね」
そう言いながらも、髪に差し入れられた指の、労わりに満ちた動きはそのままだ。けれど、明日叶はふるふると首を振った。
「……いい。もう、眠く、ない」
「センパイ?」
「だから、……触ってて……、ここに、いて」
勝手に自分の口から零れ落ちる子供のような本心に、思わず頬が熱くなる。


だから、嫌だったんだ。こんな風になるのは、分かっていたから。
寝かしつけようとしていた太陽の手の動きが、ふと止まった。
そのまま、髪の間から抜け出た指は、明日叶の頬を撫でて唇に触れる。


「ケータイ、床に落ちてたよ」
「……お前に、あれ以上我侭言ってしまわないように、―――投げた」
途端に噴き出す声が聞こえ、思わずむっとする。
そんな明日叶をあやすように、節の立った指の背中が、こめかみの辺りを優しく辿った。
「もっと聞きたかったのになー。センパイのワガママ」
「……自制、出来る気がしないから。今」
「しなくていいって言ってんの」



この夏休み、ほんの短い期間だけれど、太陽は実家に戻っていた。
彼自身は、長い休みの全てを明日叶と過ごそうという気だったようだが、両親(父の所在はいつものごとく分からないが)が海外にいる自分とは違い、会いたい時に会える場所に家族がいるのだから、こんな時くらい、少しは顔見せに帰って来いと言い諭したのは明日叶だった。
ジャディードの一件以来、明日叶がそういった、いわゆる家族に対する気遣いというかそういうものに敏感になっていることを知っている太陽は、最初こそごねたものの、「すぐ帰ってくるから!」と言いながら、三泊四日の里帰りに出かけていった。それが、一昨日のこと。


ちょうど太陽が出掛けたその日の夜、まるで狙い済ましたかのように身体が不調を訴えた。
これは大人しく寝た方がいいだろうと思い、寝支度を整えていると、予想以上の重さと熱さが急激に全身を襲った。まずいな、と焦りながら、それでも何とか常備薬を飲んでベッドに潜り込んだところで、メールの着信音が鳴った。


『センパイ♪今、親父と兄貴とメシ食ってるっス!もー、男3人で食卓囲んでたら、男臭くってしかたねー。センパイもちゃんとゴハン食べた?あー、もうセンパイに会いたくなった!早く帰りたいっス〜〜!あ、センパイ、お土産何がいいっスか?なんでもリクエストOKっスよ(^0^)』


なんだかんだ言いながら楽しそうな家族との様子に笑みが零れるが、うっかり目にした最後の一言に、身体と一緒に弱っていたのだろう感情が、見事にぐらりと傾いだ。ああ、と自己嫌悪に陥った時にはもう、親指は送信ボタンを押してしまっていて。
自分のしたことに頭を抱えると、手にしていた携帯電話をベッドの上から放り投げた。これ以上はマズい。とにかく寝よう、と。






「びっくりした、ホントに。センパイがこんなこと言うなんて、絶対なんかあるって思って」
だから予定を繰り上げて帰ってきたの、と太陽は説明した。
帰ってきて正解だったと。
カチカチと自分の携帯電話を操作すると、明日叶が送信した内容を表示させてこちらへ向ける。

『何もいらない。から、早く帰ってこい』

朦朧とする意識の中で、それでも確かに覚えのあるその文字列に、申し訳なさと恥ずかしさで顔を覆う明日叶の耳に、太陽の押し殺した笑い声が聞こえてくる。
「オレ、嬉しかったよ?センパイ」
ちゅう、と頬にキスを落とされる。
「あーオレ、求められてんなーって♪」
「だ……っ、あれは、その、気が弱くなって……て」
「だから本心なんでしょ?すっげ嬉しい」
上から覆い被さるように、けれど、横になる明日叶を案じてか、絶対に体重を掛けないように抱き締める。
「ありがと、センパイ。甘えてくれて」
呟くような声の中に、密かな優越感のような響きが聞き取れたのは、たぶん気のせいじゃない。―――逆の立場だったら、きっと自分だって。

嗅ぎ慣れた、なのにたった二日しか離れてないだけのに、どうしようもなく懐かしい太陽の匂いに、胸がぎゅっと絞られた。
肩に顔を埋めると、明日叶はすん、と犬のように鼻を鳴らして息を吸い込んだ。
「あ、ごめん!オレ、汗臭いかも。バス停降りてから、全力ダッシュしちった」
あわあわと離れようとする太陽を、明日叶はひどく寂しそうに見上げた。
その表情を見て、へ?と、太陽が一瞬戸惑う。

「太陽、起こして、くれるか」
「えっ」
力の入らない腕を懸命に伸ばすと、太陽は躊躇いながらもその手を取って上体を起こすのを手伝ってくれた。身体のダルさは、眠る前よりマシにはなったものの未だ全身を蝕んでいて、助けを借りても、起き上がるだけで息が上がる。
「センパイ、寝とかなきゃ」
困惑したように覗き込んでくるその肩に両手を掛けると、太陽が言い終わらぬ間に全体重を乗せた。
「うっわ!」
力の加減が出来ないせいで、思い切り押し倒す形になってしまった。
思いがけない体勢の逆転に、太陽が焦った声を上げる。
「せせせセンパイ!?」
そのまま、ベルトを外しにかかる。
「なっ、何してんスかセンパイ!!」
「うるさい」
かちゃかちゃと金属のぶつかる音はするものの、鈍った手の動きがなかなか上手くそれを外させてくれない。

けれど、今、どうしても。

自分でも恐ろしいほどの急激な感情の昂ぶりが、狂おしいほど目の前の男を求めている。

どうして。どうしてこんなに。
頭の中に渦巻く疑問符は、一層上がった体温が簡単に解き明かしてしまう。
「今、どうしても、」
切ないまでの焦りが、普段ならとても言えないような、何一つ飾らない本心を言葉にしてしまう。
「お前が欲しい、太陽」
ようやく緩んだそこから、待ちわびていたものを引きずり出すと、明日叶は躊躇いなく口に含んだ。
「……ぅ……っ………!」
スポーツドリンクの染みたハンカチを啜るように、ほんの僅かに顔をもたげていたそれを、たどたどしく吸い上げる。一度だけそうすると、今後は根元から一気に口に含んだ。
予期せぬ事態に、されるがままになっていた太陽の口から、一瞬、苦痛のようなうめき声が漏れる。
「センパ………っ、だ、めだって、ちょ……、口ン中、すっげ熱……っ……!」
かたかたと小刻みに震える太腿に連動して、口内でそれはみるみるうちに質量を増していく。それにやおら喉奥を突かれて、忘れかけていた発作が明日叶を襲った。

「っぇ……げっほ、ごほ、ごほ……っく……」
「ほら…っ、無理するから」
跳ねる背を撫でながら、慌てて引こうとする太陽の腰を懸命に抱き止めて、明日叶は再び固くなった太陽自身を銜えた。
「や……っだ……」
「やだって……」

咳き込んだ名残で、涙がぼろぼろと零れる。
大きすぎるそれのせいで、呼吸が上手く出来ずに苦しくてたまらない。
―――のに、全身が、身体中の全ての箇所が、早く、早くと急かしてきて、止まらない。こんな焦燥感は、知らない。

いつの間にかとっくに膨れ上がった太陽の分身は、明日叶の口内の熱も加わってか、常よりずっと固く大きく、凶暴なまでにそそり立っていた。
銜えきれない根元の部分が、唇を通して酷く激しく脈打っているのが分かる。
そしてその脈動に合わせるように、明日叶自身の鼓動が早くなっていくのも。

「……ね、センパイ……これ、マズい……か、…ら、」
一度、やめよ?
宥めるように必死で冷静な言葉を紡ぐ太陽を、ちらりと見上げると、明日叶は素直に口を離した。
ほっとすると同時に、ずるりと外気に抜け出る自分自身が明日叶の歯になぞられる感触に、腹筋の辺りがどうしようもなく震えた。
同時に目に映る、太陽の零した先走りと自身の唾液で、口元全体をべたべたに濡らした明日叶の顔に煽られて、いつも以上の射精感を全力で堪える。
我ながら、己の理性に拍手を送りたい。

「も、…う、ダメだよセンパイ………、ふぅ、大人しく、寝てなきゃ」
さっき解熱シートを貼った時といい、顔を撫でる手のひらに擦り寄ってきた時といい。どれだけこちらが、その扇情的な雰囲気に流されないよう自制しているのか、ちょっとは苦労を分かってもらいたい。
荒くなろうとする呼吸を必死で飲み込みながら、太陽は宙を見上げた。

いや、確かに、分かるんだけど。
身体が辛いと、どうしても人恋しくなる。たぶん、自分の場合でも同じだ。
しかも、しばらく離れていたとなるとそれは余計に、そうだろう。
明日叶が、普段はあまり本心を曝け出さないこの人が、露骨に自分を求めてくれているのは心底嬉しいし、出来ることなら力いっぱい抱き止めたいと思う。


―――けど、これはマズい。もう絶対、マズい。


熱に浮かされた明日叶の色気が、妖しいまでの体温の高さが、動揺するほどの素直さが、こんなに自分の雄の部分を刺激するとは思っていなかった。
今、ここでこの雰囲気流されたら、絶対、自己嫌悪に陥るような抱き方をして、明日叶を潰してしまうに決まっている。病身の恋人にそんな真似、最悪だ。

大切に思うがゆえ、自身の欲求に渾身のストップを掛ける太陽は、(欲情しすぎると、脂汗なんて出るんだな……)なんて、妙に的外れなことも考えていた。

「と、とにかく、…ねっ、ちゃんと、寝」
寝よう、と明日叶の身体を横にさせようと上体を起こしたした途端、太陽の言葉は小さな悲鳴に飲み込まれた。
暴力的にまで膨れたその先端に、慣れた、けれどどんなに慣れても叫び出したいくらいの快感と幸福に襲われる感触が、触れた。

「んっ……ぁっ……ぁー……っ……」
本当にいつの間に脱いだのか、パジャマのズボンを下着ごと脱ぎ捨てた姿で、明日叶が膝を立てていた。
まだ触れても解してもいないのに、熱のせいで力が入らないためか、そこは、いつもよりずっと滑らかに太陽を飲み込んでいく。
上がる声にも覇気は無く、小さな小さな叫び声が、微かに喉を震わせて溢れてくる。ばたばたと額から流れる汗が、太陽の下腹を容赦なく濡らしては落ちていった。

「せ、せせセンパイ、明日叶センパイ!?」
視点の定まらない目が、ふわりと太陽の視線を捉える。
大丈夫だろうか。熱のせいで、ぶっ壊れちゃったんじゃ……!?
そんな失礼なことを考えて焦っていると、ふと明日叶が微笑んだ。
「たい、よ………」
そう小さく呟くと、すぐに眉根をぎゅっと寄せて目を閉じる。
ぜぃぜぃと耳を擦る痛々しい呼吸に合わせて、少しずつ火照った明日叶の身体の中に、太陽の猛りが姿を消していく。
さすがにこんな大きなものを全部は飲み込めなくて、7割方沈めたところで、明日叶は腰を落とすのを止めた。

「たいよう」
呂律の回らないたどたどしい声が、太陽の名を呼ぶ。
両手を回して、しがみつかれた。
中途半端に立てた膝が、途端にがくがくと震えだす。
「ほしい、すきだ、たいよう、いま、おまえがほしい」
一言ずつ、ぼやける声で、けれどはっきりと欲求を口にされて、太陽はまだ少し躊躇ったあと、それでも意を決したように聞き返した。

「……本当に、いいの?」
問いながら、けれど恐らく明日叶は、きっと容赦なんか期待してないんだと痛いくらいに分かった。それがほんの少し恐ろしくて、たまらなく幸福だ。
「自制、きかないって、いった、だろ」
無理やり作った挑戦的な笑みが浮かぶのとほぼ同時に、彼の膝が堪えきれずに崩れた。瞬間、部屋に糸のような悲鳴が響き渡る。
猛り狂う自分を飲み込んだだけで、一度目の絶頂を迎えた明日叶の、食い込む爪先を背中に感じながら、太陽は思った。


壊さないように、悪化させないように、けど絶対、手加減は出来ないから、
(さて、どうやって折り合いをつけようか)





その答えはたぶん、出そうにない。















◆あとがき◆

「夏はエロを書きたくなるよね企画」、略して夏エロ第1作目です(笑)
風邪っぴきネタは以前太陽でやったんですが、今回は明日叶ちんバージョン。
弱ると意地っぱりになる太陽と、逆に素直になっちゃう明日叶ちんの対比を書きたかったのですvv
あと、熱出てる時の口の中、熱っ!てのもやりたくて(笑)
色々趣味を詰め込んでしまいましたハハハ。楽しかった。
夏のイカレ企画、いつまで続くやらです。

2010.7.31 up







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