読みかけの小説を片手にラウンジを出たところで、ちょうどエレベーターから降りてきた太陽に出くわした。


「あっ!明日叶センパ〜イっ」
「太陽?おかえ……」
掛けられた声に振り返った途端、明日叶は思わずぎょっと身体を後ろに引いた。
数メートル先のホールで、ぴょんぴょんと跳ねながらこちらに手を振る太陽。
人懐こい笑顔や、落ち着きのない様子などはいつもと何も変わらない。
……が、今日の太陽には耳が付いていた。
いや、人間のそれではなくて。
大きく茶色いふわふわの耳が、―――頭の上に。

一瞬は面食らった明日叶だったが、すぐにその意味を理解して、ほっと笑いかける。
「ああ、そうか。今日だったんだな」
「今終わったんス!どうどう?似合う??センパイっ」
太陽は、えへへ♪と嬉しそうに笑いながら明日叶の前に駆け寄ると、その場でくるりとターンしてみせた。
その動きに合わせて、ぷらん、と何かが揺れる。

耳だけじゃなく、腰辺りからは尻尾まで生えていた。















『ねぇねぇ明日叶センパイ。ハロウィンって、知ってる?』
ベッドの上でごろごろしていた太陽が、唐突にそんなことを尋ねてきた。
『ん?ああ、知ってるよ。えーと、確か古代ケルト人の収穫感謝祭から由来してる、……んだったかな』
ノートから顔を上げて、ちょっと考えながら答えると、『ふぇ?』と何とも気の抜けるような声が聞こえた。
『あれ?お菓子もらえる日じゃないの?』
きょとんと、当てが外れたように目を瞬かせる太陽に、明日叶は思わず噴き出した。
間違ってはいないが、なんとも太陽らしい情報の抜粋だ。
『うーん……まぁ、そうだな。その日は、子供たちがお化けや魔女なんかに仮装して、家々にお菓子をもらいに歩く風習が、確かにあるな』
行事そのものの本来の意味とは違うけれど。
まぁ、お祭りとして言えば、あながちその説明でも間違いではないだろう。
笑いを堪えてそう説明すると、太陽はがばりと身体を起こして楽しそうに言った。

『そう、それ!今度ね、クラスの奴らとパーティやることになったんだ』
『パーティ?ハロウィンのか?』
『うん!……って言っても、放課後みんなでお菓子持ち寄って、食べながらダベって〜って感じの、気楽なやつなんだけど。でも、一応ちゃんと全員、仮装すんだって』
お祭りごと大好き人間の太陽は、もう目をキラキラさせている。
『へぇ、何だか楽しそうだな』
つられて、明日叶の心も躍る。

自分達の学年では考えられないことだが、どうやら太陽たち1年生のクラスは学科の別なく、割と密な交流があるらしい。
そういえば、太陽自身が普通科の生徒たちと楽しそうに談笑している姿を、明日叶も何度となく見かけたことがある。
学年が違うからなのか、はたまた太陽の資質のなせる業なのか。
恐らく後者なのだろうと考え、明日叶は目元を和らげた。
この恋人の底抜けの明るさや人懐こさは、自然と人の輪を引き寄せてしまうのだ。
―――そう、自分のように。


『でしょ!?仮装はさ、ヒロが全面的に協力してくれるらしいんスよ』
『ヒロが?』
確かに彼も同じ1年生だけど。
太陽の口から出た意外な名前に一度は驚いたものの、そういえば彼は太陽と相性が良くないだけであって、こういう賑やかで盛り上がりそうなイベントに食指が動かないはずはないと、明日叶は思い直した。
『それは……なんというか、本格的な仮装になりそうだな』
ヒロの性格からして、生半可なお遊びレベルではプライドが許さないだろう。
ごく内輪のパーティの予定だったのが、ハリウッド映画並の大仮装大会になりそうなことくらい、容易に想像がつく。
『あいつ、凝り性っスからね〜。でも、今回ばかりは楽しみっス!』
太陽も肩を竦めて苦笑した。
『で?太陽は何の仮装をするんだ?』
俄然興味が湧いてそう尋ねると、太陽はちっちっと人差し指を横に振って言った。
『それは当日のお楽しみっス♪終わったら、そのままセンパイとこ行くから。楽しみに待ってて』

ね?と笑いかけられて、明日叶も思わず微笑んで頷いた。



―――それが、数日前のこと。














「へっへ〜ん♪というわけで、オレは“狼男”でしたー!!」
どこか誇らしげに胸を張り、両手(よく見ると、肉球のついたモコモコの手袋まで付けている)を顔の横に構えて、がおー、とおどけて見せる太陽に、明日叶は喉まで出掛かった言葉を懸命に飲み込んだ。
(よかった………「犬か?」とか聞かなくて……)
「ねねっ、似合う?」
もう一度聞かれて、明日叶は改めてしげしげとその全身を眺めた。


どういう素材で出来ているのか、ふかふかした手触りの良さそうな毛並みの耳。
上半身は、―――恐らく裸が一番正しいのだろうが、一応は学園内での催しということでヒロが自主規制したのか、最低限肌を隠せる程度のタンクトップ姿。
剥き出しの二の腕には、重そうな金属の輪が一つだけ飾られている。
すらりとした下半身を包むのは、ボロボロに、けれど絶妙なバランスでお洒落に見えるよう、計画的に破られた細身のジーンズと、脛まで隠すハードな革のブーツ。
そして、腰から長く垂れた、ふさふさの尻尾。

―――正直、似合いすぎている。


普段、ゆったりとした格好を好んで着ている太陽だから、あまり知られてはいないが、彼は意外なほどしっかりとした筋肉質な身体付きをしている。
そんな太陽に、この仮装は完璧にマッチしていた。
ごてごてした無駄な装飾は一切無く。
どこか荒削りで、ぶっきらぼうで、それでいて妙な色気を感じる怪物。
(ヒロ……凄い)
もう一人の後輩の観察眼に、明日叶は心の中で賛辞を送る。
「……うん、すごくよく、似合ってる」
若干照れながらも、率直な感想を口にすると、太陽は嬉しそうに頭を掻いた。
―――肉球で。





と。

「あ!そうだ、えっとえーと、なんて言うんだっけ……」
何やら急に考え込みだした太陽に、明日叶が苦笑する。
「トリック・オア・トリート?」
ハロウィンで仮装とくれば、と有名な合言葉を教えてやると、ぱっと顔を上げた太陽がぶんぶんと首を縦に振った。
「そう!それ!!」
コホン、とわざとらしく咳払いすると、太陽は明日叶の目を覗き込むようにして言った。
「明日叶セ〜ンパイ♪トリック・オア・トリート!!」





さあ、どうしよう。



@ ポケットに入っていた飴玉を渡す。

A 何も持っていない。














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